卓球王国 2024年3月21日 発売
バックナンバー 定期購読のお申し込み
トピックス

水谷、日本卓球界を裏で支えた今村さんを語る「ドイツでお世話になり、感謝しきれない人です」

「東京オリンピックが終わってから

まだお会いしてないので、

金メダルを持って会いにいきたいです」

水谷隼、今村大成さんを語る

水谷隼・2021年東京五輪・混合複金メダリスト

 

2002年と2003年は日本の卓球の歴史の中でのターニングポイントになっている。その年に坂本竜介、岸川聖也、水谷隼の3人が卓球留学でドイツに滞在し、マリオ・アミズィッチの指導のもと、デュッセルドルフで練習を始め、その後、彼らの影響で日本の卓球、とりわけ男子卓球が大きく変わっていった。
2003年に中学2年の水谷隼はドイツに卓球留学した。坂本竜介、岸川聖也との共同生活だった。まだ子どもだった水谷に今村との定かな記憶があるわけではないが、5シーズン(3部で1シーズン、2部で2シーズン、1部で2シーズン)をドイツで過ごした。
水谷と今村がより親密になったのは、ロシアリーグ(「UMMC」と「オレンブルグ」)に行ってからだと水谷は語った。
聞き手=今野昇

●ー今村さんとの最初に会った時の記憶がありますか?
水谷 中学2年でドイツに行った時に会いました。用具の相談に乗ってもらいましたね。それに週末に「ボルシア・デュッセルドルフ」の試合を見に行って、そこで会ってました。ぼくが中学生で今村さんは40歳過ぎてましたから、うまくコミュニケーションが取れなかった印象はあります。今村さんはドライだし、ぼくはシャイでしたから。当時自分から話しかけることはしなかったですね。

●ー今村さん曰く、「(岸川)聖也にしても口数は少ないけど、隼だけは『ぼくは野菜は食べません』とか、自分の要求ははっきり言っていた」と(笑)。
水谷 それは単にわがままだった(笑)。それが唯一のコミュニケーションだったかもしれないですね。今村さんはマリオ(・アミズィッチ)とのミーティングの時に練習場に来てました。

●ー「ボルシア・デュッセルドルフ」で隼が突然いなくなった「事件」もあった。「隼がいないぞ」と「ボルシア・デュッセルドルフ」では騒ぎになったらしいけど、それよりもみんなが驚いたのは「隼がよくひとりで日本に帰れたな」と。今村さんがそう言ってました。
水谷 それって、デュッセルドルフの最後の時のことですか? 試合に出ないのにチームに帯同しなければいけないとか、ミーティングが英語からドイツ語に変わったりとか、ぼく自身、相当にストレスがたまり、一時帰国したんです。いなくなったと言っても、ぼくは誰かにエアチケットを取ってもらっているから……それ、今村さんに取ってもらったんじゃないかな。高校生がひとりでエアチケットなんか取れないですよ。ぼくは突然消えたわけじゃないです(笑)。

 

●ーカードは持ってないから、ひとりでキャッシュ(現金)握りしめて、チケットを買ったんじゃないのかな?
水谷 いやいや、そんなお金持ってないですから。今村さんにはロシアに行ってからのほうがめちゃくちゃお世話になりました。最後は今村さんは「飲み友だち」のような人でした(笑)。卓球のこと、海外選手のこと、いろいろ話をしていました。

 

●ー当時は子どもだからわからないだろうけど、ドイツでのアパート、食事、家庭教師のこととかいろいろ今村さんが世話をしていた。 
水谷 そうですね。ただ、大人数で食事に行くことがあっても、当時は今村さんとさほど話をした記憶はないですね。ぼくの記憶ではドイツよりも、ロシアに行ってからのほうが今村さんと親密になった感じです。当時、ロシアリーグの「UMMC」から「オレンブルグ」に移籍する時にトラブルもあって、今村さんにお世話になりました。クラブとの契約書も見てもらって、相談したり、ヨーロッパのクラブからも今村さん経由で誘いが来ることも多かったです。
「オレンブルク」に行ってからのほうが密になって、よく今村さんと食事に行ったり、飲みに行ってました。ロシアリーグに行くと、ヨーロッパチャンピオンズリーグやワールドツアーで長期間転戦しますけど、1週間とか空く時があります。そういう時にはディマ(・オフチャロフ)と一緒にデュッセルドルフに行って練習することが多くて、その時には事前に今村さんに連絡して、梅村(礼・元全日本チャンピオン/タマスヨーロッパ)さんを誘って3人で一緒にご飯食べていました。間違いなく選手ではぼくが一番今村さんとご飯行って、いろいろな話をしてましたね。

 

●ー今村さんってどういう人だったんだろう? 日本人だけど、日本人っぽくない人です。
水谷 聞き上手ですね。自分のことは絶対話さない。距離感はあるんですよ。でも自分と同じ匂いがしてたんですよね(笑)。

 

●ー今村さんがタマスに入ったのは1982年だから、40年働いての退職です。
水谷 今村さんの入社の時、ぼくはまだ生まれてないですね。ぼく自身、中学生の13歳くらいから20年近くお世話になりました。感謝しても感謝しきれないですね。「お疲れさまでした、そして、ありがとうございました!」と今度、今村さんが日本に帰ってきたら言いたいです。
自分が全日本やワールドツアーで優勝しても、軽く「おめでとう」と言われるくらいで、いつも反応薄くて少し傷ついてましたが、リオでメダル獲った時には今までで一番喜んでくださって嬉しかったです。東京オリンピックが終わってからまだお会いしてないので、金メダルを持って会いにいきたいです。
●ーありがとうございました。

 

2002年にドイツに渡った日本の若手。写真は2005年にドイツのデュッセルドルフで練習に励む選手手たち。右から水谷隼、高木和卓、岸川聖也、坂本竜介

 

今村さんとは選手時代の後半から一緒に食事に行ったり、ビールを飲む仲になっていた。写真嫌いの今村さんの珍しいショット

 

 

関連する記事