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インタビュー

「好きなことのためなら頑張れる」。活力あふれる若きオーナー・松田尚樹

今年の5月末よりマイダス卓球アカデミーのオーナーに就任した松田尚樹。自身も小学生時代から全国トップで活躍し、現在では卓球場を3店舗経営する28歳の若きオーナーだ。

 

ーー卓球を始めたのはいつ頃ですか?

松田:卓球は7歳から、地元の一宮FCというクラブで始めて、7歳の終わり頃からは美崎クラブに通っていました。董崎岷(トン・チミン)さんや鄭琦(ティ・キ)さんに教えてもらうことができて、本当に運が良かったと思います。小学生時代は全日本ホープス3位が個人の最高戦績です。

美崎クラブで実力を伸ばし、小学6年時の全日本ホープスでは3位入賞

 

ーー中学進学と同時にJOCエリートアカデミー(以下:EA)に進みました。

松田:小学生時代の戦績も評価されて、運良くEAに声をかけていただきました。ぼくはEAの一期生で、田添健汰、大塚大寛、東勇渡、谷岡あゆか、鈴木李茄が同期です。一期生ということで色々と手探りな状態で、不安もあったけどワクワクもありました。でも、今思い返すと結構つらい経験もしましたね。

 

ーー中学時の戦績はどうでしたか?

松田:2010年のITTFジュニアサーキット香港大会の男子ダブルで優勝しました。全中にはEAの選手は出場できなかったんですよね。

でも、全日本カデットは出場できていて、そこで痛い目を見ていました。今は記憶から抹消してます(笑)。他のEAの選手は全日本カデットで表彰台に登っているけど、ぼくだけ4回戦で負けてしまいました。

09年の全日本カデット14歳以下では4回戦で竹岡純樹(青森山田中)に敗れた

敗戦後はベンチで悔しさをにじませた

 

ーーEAということで注目度もあったと思います。やはり負けると悔しかったですか?

松田:めちゃくちゃ悔しかったですね。ぼくは結構練習をやり込むタイプで、自信もあったのに結果が出なかった。思い出したくないくらい悔しかったです。練習の半分くらいの実力しか出せていないかなって思って、その時期からメンタル本などを読むようになりました。

 

ーーEAは高校に進学するタイミングで他の学校に行く選手もいます。松田さんは他の高校への進学は考えなかったのですか?

松田:ぼくの場合は特殊で、中学3年生の終わりに大きな事故にあってしまった。だから、他の学校への進学は考えなかったです。

簡単に言うと、中国遠征中に体調を崩してしまって、意識が朦朧としている中、ホテルの4階から転落してしまったんです。右半身から落ちたみたいで、右手首、右ひじ、右足首、尾骶骨、骨盤を骨折してしまい、目を覚ましたら病院のベッドの上でした。

完治するまでに2年くらいかかって、怪我をしている最中は本を読んだりトレーニングをしていました。その期間が一番苦しかったですね。

 

ーー卓球をやめたいとは思わなかったんですか?

松田:その時は思わなかったんですけど、怪我から復帰して試合に出たら全然勝てなかったんです。その時に「やめたい」と思いました。

 

ーーそこから高校の戦績は?

松田:高校の頃の最高戦績は、高校2年で出場した2013年の東京国体の少年男子の部。愛知県代表で、松下大星、上江洲光志と出場して準優勝しました。準優勝できたことで、ひとつ壁を乗り越えられた感じはありましたね。

東京国体で愛知県代表として出場した松田。準決勝の山口県戦では3番で南波をフルゲームで下し、チームの決勝進出に貢献した

 

ーー同期だった田添健汰さんは希望が丘高に移り、インターハイ学校対抗で優勝しました。それを見ていてどうでしたか?

松田:悔しさはありました。EA時代はずっと悔しい思いをして、もがいていた感じです。

その中でも、今に生きている経験はあります。みんなが練習していない時に練習やトレーニングをして、結果が出ていなくても馬力はついたと思います。

いろんな競技の選手と触れ合えるのもすごく良い経験だったと思います。リハビリ期間中とかも、他競技の日本代表の人と話すことができました。そんな環境はなかなか無いじゃないですか。大人になった今、もう一度同じ経験をしてみたいと思いますね。

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