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「変えて」 強くなる  渡辺武弘

<卓球王国2011年8月号より>

 

あなたの潜在力は眠っている

「変えて」 強くなる

 

渡辺武弘

(元・全日本チャンピオン・五輪代表)

 

世界選手権、五輪の日本代表。現役後半で念願の全日本選手権初優勝を果たす

 

練習とプレースタイルを

「変えて」チャンピオンになった。

 

私は幸いにも全国中学校大会で優勝し、埼玉の熊谷商高に入学した。当時の熊商は吉田安夫先生(現青森山田学園総監督)の厳しい指導のもと、常勝チームを作りつつあり、中学でチャンピオンになったとは言え、レギュラーを獲得するのも大変だった。しかし、厳しい指導のおかげで高校3年ではインターハイ三冠王になることができた。

そして、明治大学に入学。ひとつ上にはのちに全日本チャンピオンとなった糠塚重造さんがいた。ところが、入学して大学のレベル、一般のレベルの壁にぶち当たった。大学2年まで全国大会で活躍することができず、全日本選手権でも勝てなかった。「このままでは大学でつぶれてしまう」という思いが頭をよぎった。しかし、つぶれるわけにはいかなかった。父を亡くした私に、母や兄が仕送りを続け、サポートしてくれた。彼らの姿が頭に浮かんだ。必死だった。

高校までの貯金ではダメだ。何かを変えなくては、今の自分は壁を越えられない。それは何なのか。

まず練習とプレースタイルを見直した。それまでは規則的なフットワーク練習などが多かったが、不規則な全面練習を多く取り入れた。そして、それまではバックハンドが弱く、フォアハンドドライブではカーブドライブしか打てなかった私は、シュートドライブに取り組み、相手コートを広角に攻めるようにプレースタイルを変えたのです。そのためには台から離れてはだめだ。体格も小さく、筋力がずば抜けているわけではない自分が勝てるようになるためには、台について、速く、広角に攻めるしかない。

当時は明治大の練習場は東京・三鷹の平沼園にあり、ひとりで練習する時には当時の監督だった渋谷五郎さんの奥さん、淑子さん(元全日本ダブルスチャンピオン)に相手をしてもらった。淑子さんは私と同じサウスポーで、ショートで全面に回してもらいながら、多くのアドバイスをいただきました。その時の練習でフォームも変え、シュートドライブを打つためにラケットフェイスをオープンにしたりと改革していったのです。

そして、その成果もあり、大学3年の全日本選手権でベスト8に入ることができた。その後の卓球人生を考えれば、このベスト8入賞は大きな転機となった。その後、国際大会などへの出場の機会も得ることができた。これがひとつ目の「チェンジ」。

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