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水谷隼全インタビューvol.2「その言葉のすべて」2007年夏

2007年1月に史上最年少の全日本優勝を達成した水谷隼。
その年の夏のインターハイで優勝した後のインタビューを紹介しよう。
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<卓球王国2007年11月号より>

水谷隼

青森山田高3年

早熟なる才気
Jun, where are you going?

18歳の全日本チャンプは高校生の夏を制した。
それは当たり前のように映るかもしれないが、違う。
向かっていって勝ち取るタイトルと、
ぶつかられて、負けられないタイトルの意味は、違う。
5月のザグレブ大会では
大きな収穫とともに悔恨もかの地に置いてきた。
日本の王者は、頂点に立ったあとに何を考え、
走り続けているのだろう。

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インタビュー=今野昇
写真=高橋和幸

 

インターハイのためにすごく練習してきたし
ダブルスも毎日練習してきたので、
それを三冠という形で終われて、
本当にホッとしている

6月のフォルクスワーゲンオープン荻村杯(千葉)でインターハイのことを聞くと、「インターハイは出ます。記録を残したいです。インターハイは高校生の目標とする大会だから」と力強く語った水谷隼。そしてその言葉通りに佐賀インターハイを制した。
今年1月の全日本選手権で史上最年少の記録付きで優勝した水谷にとって、インターハイでの優勝はさほど難しくないように思えるが、それは違うだろう。精神的に重圧はかかるし、相手は負けてもともとで一か八かのプレーをぶつけてくる。同年代や年下との試合は強くなればなるほど難しい。また過去2年間はいずれも同士討ちで敗れている大会なのだ。
インターハイ優勝直後の水谷は大会を振り返り、語った。安堵の色を見せながら。

 

水谷 団体戦では、初戦(2回戦)、3回戦とうまくいって、準々決勝で遊学館にダブルスが負けて……自分たちが勝たないといけないところで負けてしまったけど、4番、5番に(松平)健太と賢二がいるから安心していた。彼らのことはとても信頼しているし、絶対勝ってくれると信じて見守っていた。彼らが勝ってくれたおかげでそのまま優勝することができました。準々決勝のあとの夜のミーティングでは吉田安夫先生に引き締めろと言われて、それで準決勝、決勝とダブルスですごく良いプレーができて、うまくいった感じです。
ダブルスでは、1回戦の相手がすごく強くて、1ゲーム目取られて負けそうだったので、その試合でお互いに「油断できない」というか、本当に全試合気を抜かないで、安定したプレーができるようになった。尻上がりに調子が上がり、決勝では本当にお互い良いプレーができました。
シングルスの準々決勝が団体のダブルスで負けていた相手なんで、借りを返したかった。しかも、ただ勝つんじゃなく完膚なきまでに倒さないと気が済まなかった。負けず嫌いなんです。伊積(遊学館)はサービスがうまくて出足はつまずいたんですけど、4-0で勝つことができた。準決勝の江藤(明豊)戦は結構リラックスできていて、試合に入ってからもずっと余裕を持ったプレーができていたので、1ゲームは取られたけど落ち着いてプレーができて、調子良かったです。決勝は……賢二か健太が来ると思っていたんですけど、健太のほうがぼくにとってはやりやすかった。でも、お互いに調子悪くて、本当に50%くらいの力しか出せなかったと思う。はじめ2-0とゲームをリードして、4ゲーム目に6-10からばん回できたのがやっぱり大きかった。それで本当に勝負が決まったと思います。
相手がストップしてきたボールに対して(ダブル)ストップでいこうとして(ボールが長く)出てしまってドライブをかけられてミスするパターンだったので、ストップしてきたら先にかけさせるつもりで長く送ったら、相手が凡ミスしてくれました。
試合が始まる前は三冠取れるか不安が多かったんですけど、「ああ、取れた、良かった」とホッとした。うれしさより本当に落ち着いたというか、インターハイのためにすごく練習してきたしダブルスも毎日練習してきたので、それを三冠という形で終われて、本当にホッとしているという感じです。
これからは世界を目指したいし、プロツアーとかもどんどん始まっていくので、とにかくオリンピックに出られるように、格上の選手をどんどん倒していきたい。