卓球王国 2021年7月20日 発売 vol.292
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水谷隼「オリンピックの舞台に立った人は、みんなが魔物に取り憑かれている」

<卓球王国2016年11月号より  「隼! リオを思い出せ」>

銀メダルの真実

水谷隼  

2016年リオ五輪の男子団体で銀メダルを獲得した日本男子。水谷は団体で全勝。決勝では中国の許昕を破った。東京五輪でも団体のキーマンになる

 

 

リオ五輪の卓球会場を沸かせ、日本中を熱狂させた水谷隼。

そこには4年前の屈辱を晴らし、

男子の卓球を見せつけたいという執念にも似た強い思いがあった。

 

インタビュー=今野昇

写真=今野昇・レミー・グロス

 

「水谷の卓球は遅いからもう限界」

と言われていたんですよ

 

8月20日に帰国して大勢のファンと報道陣に迎えられた水谷隼。彼のプレーは日本中の人を魅了して、帰国後、連日テレビに出演し、今や「卓球のミズタニ」はスポーツ界のアイコンになっている。

「メダルを獲ったら、こうなるんだなと思っていましたから、スケジュールは空けておきましたよ」。8月25日に会った際、彼は笑った。自宅近くの夜のファミレスに変装して現れたメダリストだが、すぐに店員に「卓球の水谷さんですか?」と聞かれる。改めてオリンピック効果を実感した。

思えば、4年前のロンドン五輪で悔しい思いをして、その後、ブースター問題を訴えて、国際大会をボイコットしたことが遠い昔のようだ。水谷隼はいつリスタートを切ったのだろう。

◇◇◇

ぼく自身のリスタートは、ロンドン五輪の翌年の世界選手権(2013年)で、初戦で負けた後じゃないですかね。ぼくはその年の1月、全日本選手権も2回連続決勝で負けていたし、ぼく自身を指して世代交代と言われたり、「水谷の卓球は遅いからもう限界」と言われていたんですよ。それにロンドンの前から他の選手は中国選手に勝っているけど、水谷は中国には勝てないと言われ、他の選手のほうがチャンスがあるんじゃないかと言われていた。

もちろんぼくは反発してました。日本にいても練習できる環境がないし、ナショナルチームの合宿も機能していなかった。自分が強くなれないのは環境のせいだ、日本のせいだと強く思っていた。ぼく自身は環境のことを含めて、改善してほしいと協会に訴えていたけど、何も変わらなかった。ロンドンの前に合宿をやった時も誰も合宿に来なかったので、「こんなのやっても意味があるのかな」と思ってました。

ロンドンオリンピック後、ぼくは合宿にも参加していなかった。今思えば、周りの環境を言い訳にしないで、自分ひとりで海外でやれば良かった。そういう気持ちもあったからロシアリーグに行った。もともとロシアリーグの話は2011年頃からありました。ただ当時は日本にいたほうがロシアに行くよりも良い練習ができると思っていた。ところが合宿に誰も来なかったり、卓球のことを教えてくれる人もいないから海外に行こうと思った。

13年の夏くらいにロシアリーグに行くことが決まり、その後、11月のドイツオープンの時に邱建新さんとコーチ契約を結びました。

実際にブースターや練習環境の問題もあったから卓球が嫌になっていたのかもしれない。自分に良い環境を与えてもらえるならば絶対活躍できる自信はあった。周りが助けてくれないから自分がやるしかないと思ってました。

14年1月の全日本選手権で優勝して、その後、結婚もしたので忙しかったけど、成績も上がっていったし、手応えはあった。そして、その年の12月の(ITTFワールドツアー)グランドファイナルで優勝した。

リオを意識したのは今年3月の世界選手権が終わったあたりですね。その頃、リオでシングルスの第4シードが取れないかもしれないと言われていた。5週間続けてツアーに出てポイントを上げなければいけない状況だった。それまで3週連続ツアー参戦というのが最多だったのに、それが5週連続で、しかもシード権に直結しているので、そこではオリンピックと同じ状態で戦ってました。遠征の中でさらに自分が強くなるために練習もしたし、食事も気をつけていた。オーストラリアオープンの時には優勝して、その1時間後にはトレーニングをしてましたからね。

第4シードは荘智淵(チャイニーズタイペイ)との争いだったけど、韓国オープンで荘智淵が負けて(自分のシード権が)決まった。レーティングで130ポイントくらい離されていたし、その数字はとんでもなく大きいので、まさか逆転できるとは思ってなかった。そこがすべてじゃないですか。その戦いに負けてシードを取れなければこういう結果にならなかった。

 

改めてオリンピックの怖さを感じた。

『なんでこんなのミスするんだろう』というのが続く

 

4年前のロンドン五輪の時にも世界ランキング5位で臨んだ水谷。しかし、当時の彼にはメダルを獲るための何かが足りなかった。ロンドン大会の1カ月前からは重圧のためか、十分に睡眠が取れない状態になったほどだ。

◇◇◇

ロンドンの時の反省があったので、今回は大会前から平常心で普段どおりに過ごすようにした。あまりいろいろ考えても良い成績を残せない。普通はいろんなことを考えて寝られなくなるのに、今回はなるようになるだろうと考えてました。実際には、それが難しいんですよ。

リオには1週間前に入ったけど、逆に入るのが早すぎて調整が難しかった。ただ卓球台は三英だから問題ない。そこはホームと同じです。自分が最高のプレーができるかどうかは、卓球台にかかっています。三英の台は滑らないから大丈夫。大会前の練習でもフィーリングは良かったし、ボールが上に跳ねるからラリーも続く。他の大会では中国製の卓球台で苦しんでいるけど、三英の卓球台なら心配はない。

初戦(3回戦)がカットマン(ギオニス)というのは少し嫌でした。カットマンと練習もしてきたし、負けたこともない相手だから不安はなかったけど。

次の4回戦は地元のカルデラノ。やりにくかったですね。彼のレシーブのチキータは取りづらい。最初は観客の声も気にならなかったのに、3ゲーム目の10-9でぼくがサービスミスをしたあたりから気になり始めた。そこから観客のブーイングが大きくなった。ああいうことは他の試合では経験したことがないですね。

6ゲーム目の7-10で相手がゲームポイントを取った時には、ぼくは次のゲームのことを考えていた。でも点数が拾えて10-10になったので、次のゲームで使おうと思ったサービス、レシーブをそこで使ったらうまくいった。

準々決勝のフレイタス(ポルトガル)戦は、レシーブさえ問題なくできれば絶対勝てると思っていました。彼はYG(サービス)が主体で、少しでもこちらが緊張したりするとどうなるかわからない。ただ途中でぼく自身があり得ないミスを連発してゲームを落としたり、改めてオリンピックの怖さを感じた。『なんでこんなのミスするんだろう』というのが続く。それはオリンピックの重みかもしれない。

他の大会に比べて、自分もそうだけど、相手も凡ミスが多い。それがオリンピックなんです。それさえも受け入れるようにしました。