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インタビュー

全国優勝14回も「最後まで自信がなかった」。藤井優子は指導者としても真摯に、謙虚に

 現役時代に獲得した全国タイトルは、個人と団体合わせて14。日本リーグでの優勝を含めると、その数はさらに増える。小学生時代から全国トップで活躍を続けた藤井優子は、2017年度限りで選手生活に別れを告げた。その後は故郷の奈良に戻り、指導者に転身。現在は指導者として4つの肩書きを持って活動している。(文・浅野敬純)

 

●愛媛銀行退職→翌日から一挙に3チームのコーチに就任

 「選手へのリスペクトが大きくなりました。私も同じようにやっていたはずなのに『すごいな、よくできるな』って(笑)。それが選手の頃から変わったことですね」

 指導者になって変わったことについて、藤井は笑いながらそう語る。両親が主宰する小瀬クラブで卓球を始め、小学生時代から全国大会では常に上位へ進出。クラブ選手権 小・中の部では2連覇も果たした。

 中学からは姉・寛子(元世界選手権代表)の後を追い、四天王寺羽曳丘中、四天王寺高へ進学。団体戦では主力として中学で2度、高校では3度の全国優勝に貢献。個人戦でも中学生の時に全日本カデットで2冠を達成し、高校では全日本ジュニアとインターハイで準優勝。近畿大に進むと、全日学のタイトルを掴んだ。

高校3年時にインターハイシングルスで準優勝

 

 大学卒業後は日本生命に入社し、日本屈指の名門実業団チームでも数々の優勝を経験。全日本でもベスト8まで勝ち上がり、全日本社会人では準優勝。2015年度から愛媛銀行へ移籍し、2017年のえひめ国体では愛媛県成年女子を表彰台に導いた。ここに記した成績はほんの一部であり、他にも多くの実績を残した正真正銘の日本のトップ。それでも藤井は「最後まで自信がなかった」と現役生活を振り返る。

 「自分のプレーには、最後まで自信を持てなかったんです。今になって振り返れば、努力はしていたと思います。でも、私の場合はいつも姉(寛子)と比べてしまって。姉はもっともっと努力していたので、『私くらいの努力じゃダメだ』と感じてしまうところがありました」

日本生命時代、姉の寛子(右)と(2011年撮影)

 

 2018年3月31日をもって愛媛銀行を退職すると、翌日からは指導者としての生活をスタートさせた。もともとは両親と小瀬クラブで指導を行うつもりだったが、お世話になった人々へ引退の報告に行くと、続々とコーチとしてのオファーが舞い込んだ。そうして、小瀬クラブの他、母校の近畿大、選手として最後にプレーした愛媛銀行のコーチにも就任。指導者としての軸足は小瀬クラブに置きながら、週に2、3日は近畿大の練習へ。愛媛銀行には頻繁に足を運ぶことはできないが、合宿時や大会前に愛媛へ赴き、集中的に指導にあたっている。

 3チームのコーチに加え、ミズノのアドバイザリースタッフとして講習会も担当。一般の愛好家とも触れ合う。多忙に映る日々も、本人は「いろんな場所で卓球を見ることができて、楽しいですよ」とこともなげに話す。何より、現役時代にお世話になったチームや関係者に、「指導で恩返しを」という思いが原動力になっている。指導するカテゴリーは小・中学生に大学生、社会人と幅広いが、その中で意識しているのは「選手に合った伝え方」だという。

 「選手の年齢もありますし、選手との関わり方も全然違ってくるので、そこは難しさもあります。その中で、選手ひとりひとりに合わせた伝え方というのは意識している部分です。選手の性格や置かれている状況には気をつけてアドバイスしていますね。コーチになったばかりの頃は、自分が経験してきたことしか指導の引き出しがなかった。そこから勉強してきて、選手の考えていることだったり、どんな声がけが必要なのかは少しずつわかってきました」

愛媛銀行は昨年の後期日本リーグ2部で優勝。1部定着を狙う

 

●理想の指導者は「全員」。改めて気づく両親のすごさ

 元トップ選手だけに、どうしても卓球を見る目線が高くなってしまいそうだが、目線はいつも選手に合わせる。ただ、現役時代に努力してきたからこそ感じてしまうこともある。

 「私自身が選手として自信がなかったので、指導者として選手に高いハードルは求めることはないですね。ただ、『もうちょっと頑張れるはずなのに』って思ってしまったり、気持ちや取り組み方についてのハードルは高いかもしれないです。姉を見てきたのもあるし、そこは選手時代に努力していたっていう自負もあるのかなと思います。でも、自分のことを持ち出して人と比べちゃダメ。選手はひとりひとり違うので」

 

 理想の指導者像について聞くと、その応えにも謙虚な人柄が滲み出る。

 「私が恵まれていたのは、小学生から社会人まで、素晴らしい指導者の方々とプレーさせてもらえたこと。たくさんの方の教えがあって今の私があると思っているので、全員が理想です」

 その中には、小学生時代に指導を受けた両親もいる。親子で小瀬クラブを指導するようになり、改めて指導者としての両親の凄さを感じることは多いそうだ。かつては親子で選手とコーチという関係だったが、練習場では「遠い存在だった」と藤井は振り返る。

 「卓球場での両親は『先生』っていう感じでしたね。自分の娘ということで、両親は他の子たちが優先で、私の指導は一番最後。なので、家族だけど遠い存在だったし、少し変な距離感も感じていました。でも、後になって考えてみたら、それが良かったのかもしれません。押し付けられることがなかったので、そのおかげで自分で何かやろうとしたり、考える力がついた気がします。

 子どもの頃は付きっきりで教えてもらったほうが強くなると思うんですけど、そこから年齢を重ねて強くなっていくためには、結局、自分で考える力が大事だと思うんですよ。それに、両親にあまり教えてもらえなかった経験があるから、なかなか注目してもらえない子の気持ちもわかります。子どもの頃のそういう環境は逆に良かったのかなって」

 

●苦しんだ経験があるからこそ、感じられること

 選手時代、輝かしい実績を残した陰で、苦しんだ経験も多かった。中学2年の時、脈拍数がすぐに上昇し、疲れやすくなるバセドウ病を発症。社会人時代は肘やひざの故障にも悩まされた。ただ、指導者となった今、そんな経験も大きな財産になっている。

 「選手として、良いことも悪いことも、たくさん経験させてもらいました。どちらの経験もたくさんさせてもらったからこそ、人の気持ちがわかるし、同じ目線で物事を考えてあげられると思うんです。私がしてきた経験を選手に伝えていきたいし、選手ひとりひとりの気持ちに寄り添って指導するということを、いつも心がけていきたいです」

 指導者としてのやりがいは「選手の成長を感じられた時」。それは相手が小学生でも、大学生でも、日本リーガーでも変わらない。藤井は今日も、温かな眼差しで選手の成長を見守っている。(文中敬称略)

 

【PROFILE】

藤井優子(ふじい・ゆうこ)

1990年5月6日生まれ。奈良県出身。両親が主宰する小瀬クラブで卓球を始め、四天王寺羽曳丘中、四天王寺高、近畿大と進学。全日学優勝をはじめ、個人と団体で多数の全国タイトルを獲得。大学卒業後は日本生命、愛媛銀行に所属し、日本リーグでプレー。2018年より小瀬クラブ、近畿大、愛媛銀行のコーチを務める。ミズノのアドバイザリースタッフとしても活動中。

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