世界ジュニア選手権優勝、世界選手権団体優勝と順風満帆な選手生活を歩みながら、2010年世界選手権モスクワ大会の団体決勝でシンガポールの馮天薇に敗れてチームも9連覇を逃し、丁寧は大きな挫折を味わった。
しかし翌11年に行われた世界選手権で初優勝。ところが、12年ロンドン五輪では決勝に進出するも、先輩の李暁霞に敗れて銀メダル。決勝の舞台でサービスミスを取られ、試合中に感情の制御を失い、泣きながらのプレーだった。
2015年世界選手権蘇州大会シングルス優勝したが、その波乱の選手人生を2015年来日時に語ってくれた。
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World Champion’s Interview Ding Ning
20歳で世界の頂点に立った女王は、その後、苦悩の淵を歩いていく。
ロンドン五輪では決勝でのまさかのアクシデント。
試合中に涙を流し、金メダルは離れていった。
今年5月2日の世界卓球、蘇州での決勝。最終ゲーム、彼女を再びアクシデントが襲う。
そこで見せた彼女のメンタル。女王・丁寧は何かが違う。
丁寧が見せる天真爛漫な笑顔と、試合中の厳しい表情の裏側に何があるのか。
インタビュー=今野昇
写真=江藤義典&アン・ソンホ
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ジュニア時代から丁寧の才能は際立っていた。05年世界ジュニア選手権で優勝し、07年世界選手権ザグレブ大会に16歳で初出場している。中国の期待の高さがわかる。10年モスクワ大会の団体戦では決勝のシンガポール戦で敗戦を喫し、中国は9連覇を逃した。しかし、翌11年のロッテルダム大会では見事にシングルスで優勝し、20歳で女王の座についた丁寧。
そして金メダルを狙った12年ロンドン五輪。李暁霞との決勝では、サービスが「フォールト(ミス)」に取られ、イエローカードを2回もらい、試合中に涙が止まらないほど悔しがり、完全にメンタルが崩れた。高ぶった気持ちと、悔しさを制御できなかった。
団体で金メダルを獲得したものの大魚を逃した丁寧。「3回もサービスをフォールトに取られ、レッドカード(イエローカード2枚)でも失点し、すごく残念。何もできなかった。相手に負けたというよりも、審判のジャッジに負けた」と試合直後にメディアに思いをぶつけた。その大会後から彼女の苦悩が始まる。
蘇州大会での優勝は4年ぶりの世界タイトルとなったが、そこまでの道のりの厳しさは彼女しかわからない。
「ロンドンの時は自分の想像をはるかに超える事態が起きた。
それがあったから今回の優勝という結果がついてきたのかもしれない」
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●−−1回目の11年ロッテルダム大会の優勝と今回の蘇州大会の優勝では何か違いますか?
丁寧 11年の優勝の時はまだ若かったし、あまりマークもされていなかった。だから自分の卓球をやることだけに集中できたし、ただひたすら勝っていけばよかった。その後、ロンドン五輪があって、団体で金メダルを獲れたけど、シングルスでは不本意な敗北。そこからどん底に落ちました。12、13、14年と、自分が沈んだ時期も長くて、周りにも研究されていたし、私自身、プレッシャーを感じながら試合をしていた。
蘇州大会を前にして、周りから研究されているとしても、今まで沈んでいたとしても、そこから這い上がっていかないとダメだと強く感じていたし、いろんな人に助けてもらいました。今回、改めて思ったことは、みんなが世界タイトルを狙ってきているんだということ。自分だけが狙っているわけじゃないから、苦しい試合が連続してあるのも当たり前だと。
●−−そのどん底というのは具体的にはいつですか?
丁寧 一番はロンドン五輪の後ですね。10年モスクワ大会の時も、団体戦決勝で負けて落ち込みましたが、まだ新人だったし、プレッシャーもさほどなかった。やっぱりロンドンの時のほうがプレッシャーも大きかったし、ショックが大きかった。すごく落ち込みました。
●−−ロンドンでは団体で金メダルを獲って、シングルスの決勝の李暁霞戦では、サービスを3回フォールトに取られ、2枚のイエローカードで1点を失った。そこで心理的にも崩れて金メダルを逃した。この試合は中国国内でも相当物議を醸したと想像できます。
丁寧 その負け方、試合自体が話題になったし、その決勝は中国に中継されていたこともあり、ファンや関係者の声がたくさん寄せられました。逆に、自分が忘れようとしても、そういう周りの声が耳に入ってきて忘れられなかった。毎日毎日それの繰り返しで、非常に辛い日々が続きました。
●−−あれから3年経った今、あの決勝をどう感じていますか? 納得できているのか、それとも今でも悔しい気持ちが沸き起こるのか?
丁寧 オリンピックが終わってから何度もビデオを観たけど、あの時、自分が何を考えていたかわからない。全くの空白なんです。
●−−思い出したくない?
丁寧 矛盾しているようですが、その経験があったから今回の蘇州では慌てずに冷静にできたし、今回の優勝という結果がついてきたのかもしれない。つまりロンドンの時は自分の想像をはるかに超える事態が起きた。今言えることは、試合になったら想像もできないようなことが起きるし、どこで何が起きるかなんてわからないということ。
●−−あの五輪の決勝でサービスがフォールトに取られ、自分の心理面が崩れて泣いてしまった。もっとあそこで心理面をコントロールしていればという声もあったのでは?
丁寧 そうです。中国に帰ってからはほとんどの人が慰めてくれましたが、一方で指導者からは心理面をコントロールすべきというアドバイスもありました。もしあそこで自分の感情をコントロールしていれば違う結果になったかもしれない。それもまた想像の話ですが、私自身の経験不足やメンタルの弱さがあったのは事実ですね。
●−−どん底に落ちたところからどのように這い上がってきたのですか?
丁寧 (五輪翌年の)2013年の1年間がとても長かった。コーチ、チームメイト、親も私に声をかけてくれた。それに助けられました。でも、実際には何度も諦めそうになった。その時に周りの人が応援してくれたので、これを乗り越えないと真のチャンピオンにはなれないと自覚しました。そうやって少しずつ自分でやってきたことが蘇州の結果につながったのではないかと思います。
●−−チャンピオンは「自分がやるんだ」「自分しかできないんだ」というある種、強烈な自我というか、エゴの部分を持っている人が多い。ロンドンの後、あなたは自分が周りに支えられているんだという気持ちを持ったのですか?
丁寧 今まで私の周りにいた人は、何かの部分で自分にプラスになっているのです。ただ、最終的に解決しなければいけないのは自分です。自分にプラスのことを吸収して実行しなければいけない。
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