3月31日夜に「バタフライとの契約終了」が発表されると、「あのマツケンがバタフライを離れるのか、どこに行くのか。やはりVICTASか」という声がSNS上で飛び交ったが、元世界メダリストが選んだのはティバーだった。ほとんどの人が驚いただろう。
驚きだけではなく、松平健太のティバー契約は卓球メーカーにも大きな衝撃を与えた。
VICTASへの移籍の予想が飛び交ったのは、過去に丹羽孝希、岸川聖也というタマス(バタフライ)の契約選手が電撃的に移った実績があるからだ。ティバーへの移籍はほとんどの人にとっては想定外だった。
松平健太の用具へのこだわりは選手間では有名で、彼が満足できるラバーとラケットをバタフライ以外が提供できるのかという疑問があったはずだ。
昨年、タマスからVICTASへ移った岸川と松平の場合では契約先を変更する意味が違う。岸川はほぼ選手として第一線を退いていたが、松平は1月の全日本選手権で準優勝という成績を残し、Tリーグを主戦場としてまだまだ現役を続けようとしている選手だ。
「マツケンのなぜ、なぜ」。
全日本で決勝に進んだ松平をティバーが金銭で引き抜いたのか、それとも松平がタマスに高い要求を突きつけのか。それらの想像は全く的はずれだ。
松平がバタフライからの離別を考えていたのは1、2カ月の話ではない。全日本選手権前からタマスとの契約終了は彼の考えの中にあった。
そして、今回のティバー契約のキーパーソンは、ティバーアジア地区ゼネラルマネージャーのGC・フォースターだ。彼はドイツのブンデスリーガ2部リーグでプレーしていた選手で、その後、ドイツにある世界最大の卓球ラバーのサプライヤーであるESN社でテストプレーヤーの仕事をしていた。
主に新しいラバーの試打、各メーカーとのサンプルラバーについて話し合い、選手の試打をサポートするなどが主な仕事だったが、退社後、ティバー入社で大好きな日本に定住している。ESN時代からメーカーの垣根を超え、水谷隼、岸川聖也をはじめ、多くの日本のトップ選手との親交も深い。抜群のコミュニケーション能力を持ち、実際に試打の相手もでき、ラバーの見識も深く、「ラバーの目利き」として優れた仕事をする男と言われている。
今回、松平は新たな転機と可能性を求め、GCとコンタクトを取り、用具が使えることを確認した。「今回の健太の契約はとても特別で、特殊なケースだと思う。ヨーロッパの選手はまずお金(条件)の話をする。おれはティバーと契約したらいくらもらえるんだ、と。でも健太は最初からお金の話は一切しなかった。聞いてきたのは『自分が使えるラバーがあるのか』ということだった」(GC・フォースター)。
卓球の用具は近年では2008年がひとつの分岐点になっている。1997年にバタフライの[ブライス]が「スピードグルー(揮発性有機溶剤入接着剤)効果を内蔵」という触れ込みで発売され、世界の卓球ラバーは「テンションラバー」時代に入っていく。
しかし、1980年代から大流行していたスピードグルーによって、ラバーに5〜10回近く接着剤を塗り込むことで、どういうラバーでも原形とは全く違うほどのスピード性能を持つことになった。
ところが「スピードグルー禁止」が2008年に実施されると、ラバーそのものの回転性能、スピード性能が問われる時代になった。そこに登場したのがバタフライの[テナジー]だった。
スプリングスポンジという独自の開発で、それに合わせた粒形状のトップシートを開発し、バタフライラバーの優位性は絶対的なものになった。
卓球市場でタマスのシェアを上回る、いわゆる「ドイツラバー」は使用者では上回るが、トップ選手の多くが[テナジー]の使用を望んでいた。それによってタマス以外のメーカーと契約していても、実際に使用するのは[テナジー]という選手も少なくはなかった。
その後、2019年に[ディグニクス]がリリースされると、「さすがバタフライ、再びドイツラバーを突き放した」と言われるようになる。10年に一度のペースでモンスターラバーを開発し、世に送り出すタマス。他社のラバー、とりわけドイツラバーがわずかな性能差であっても[テナジー][ディグニクス]に追いつかないために他のブランドはなかなかトップ選手の契約を取れない状況だった。
逆の言い方をすれば、もしドイツラバーが[テナジー][ディグニクス]に追いついてくると、契約選手の奪い合い競争や卓球市場の潮目は完全に変わってしまうのだ。
ツイート