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インタビュー

梅村礼、全日本チャンピオンが独自の視点で選手をサポート。「選手の時が一番わがままにできたと思います」


梅村礼

UMEMURA, Aya

「タマス・バタフライ・ヨーロッパ」スポンサリング担当/元全日本チャンピオン、五輪代表

 

オーストリアの「シュトリュック」というクラブでコーチしていた時の梅村さん

 

2度の全日本優勝後に、2005年からブンデスリーガに挑んだ梅村礼は、その後プロコーチを経て、タマスに入社。現在は選手のサポート役としてドイツのタマス・バタフライ・ヨーロッパに勤める。ヨーロッパに定住して10年以上が経った。

現役時代は女子選手離れした豪快な両ハンド攻撃スタイルで日本の頂点に立ち、2004年の世界選手権では日本のエースとして活躍し、中国との試合では当時の世界チャンピオン、その後のアテネ五輪で金メダリストに輝いた張怡寧を破り、世界を驚かせた。

ヨーロッパの状況、そして日本の卓球界は彼女からどう見えるのだろうか。

インタビュー=今野昇

 ◇◇◇

●ーー今日(6月18日)は自宅でのリモートワークですか?

梅村 そうです。でも、私は会社に出るほうが多いですね。

 

●ーードイツでのコロナの状況はどうですか?

梅村 大分(感染者は)減りましたね。4月以降、ワクチン接種が進んで、今は4割くらいまで接種が進んでいるし、ドイツのナショナルチームの選手たちもみんな打っていますね。

 

●ーー一般の人も卓球はできているの?

梅村 クラブに所属している子どもたちは今週から練習を始めています。

 

●ーー日本は昨年は多くの全国大会が中止になったり、Tリーグも無観客でやっていたけど、ドイツはどうだった?

梅村 ブンデスリーガのトップ(1部)だけではやっていて、2部以下のリーグは全部中止でした。学校の体育館で練習や試合をしているので、使えなくなった。ドイツは国というよりも州令が強いので、このデュッセルドルフのある州は一番厳しかったですね。州の強化指定選手は特別許可証をもらって練習をしたりしていました。でも、一般の卓球選手は練習ができなかった。

 

●ーーそうするとドイツやヨーロッパの卓球市場は動かなかったのかな。

梅村 そうなんですけど、私のようにチームや契約選手のスポンサリングをしている部署は、いつもと同じ。トップ選手はブンデスリーガやフランスリーグなどで試合をやっていましたから。

 

●ーー次のシーズンは普通に戻るのかな?

梅村 8月末からブンデスリーガの試合は始まりそうですね。ただ、国を移動する時にビザを必要とする選手は苦労してますね。大使館からのビザの発給が止まっているので。

 

●ーー今回、取り上げるのは、選手、コーチ、卓球メーカーとひと通り経験している人で、かつ日本を離れてドイツで仕事をしているという興味深い部分が梅村さんにあるからです。

梅村 そうですね。ひと通り経験してます。

 

●ーー2010年1月の全日本選手権が国内の最後の試合で、最後の相手は高橋美貴江さんだった。その前にブンデスリーガでプレーしているね。

梅村 2005年に行ってますね。2シーズン行ってます。

 

●ーーその時はニッセイ(日本生命)所属?

梅村 いいえ、文化シヤッター所属ですね。最初は会社に残ったままドイツに行けるように調整していたけど、最終的にドイツに行くのか、会社を辞めるかという状況になったので、それまでお世話になったニッセイを辞めて、マネジメント会社の「ライツ」に所属して、文化シヤッターにスポンサーになっていただきました。でも日本に帰った時にはニッセイで練習をさせてもらいました。

2シーズン、ブンデスリーガに行って、その後、イタリアリーグでプレーして、その後、ドイツに戻り、プレーしてました。2012年7月からは「シュラガー・アカデミー」でコーチをしてましたね。

最初の数年は日本のナショナルチームと掛け持ちだったので、日本とヨーロッパを行ったり来たりしていたんです。ナショナルチームを引退してから何年間は全日本選手権にも出ていたけど、モチベーションは下がってました。その頃、ドイツの女子監督をやっていたビッツゲオに声をかけられて、デュッセルドルフで練習できるようにしてくれたり、コーチのライセンスを取ることを勧められて、コーチのためのAライセンスを取得しました。英語は話せたけど、試験はドイツ語。今もですけどドイツ語はあまり話せなくて、みんなに助けてもらいながらライセンスを取りました。

日本の公認コーチの資格は持っていて、ドイツも内容が似ているのでなんとか取りました。それで、2012年にオーストリアの「シュラガー・アカデミー」に行きました。

 

●ーー「シュラガー・アカデミー」は、のちに閉鎖に追い込まれるけど、何年いたんだろう?

梅村 3年間ですね。閉鎖される半年前までいました。選手に迷惑をかけたくなかったので、ちょうどシーズンが終わる6月に辞めて、2015年7月1日からタマス入社です。

 

●ーー現役時代からタマス(バタフライ)の用具を使ったり、契約もしていたから、タマスに入ったのかな。

梅村 できたらコーチを長くやりたかったんです。「シュラガー・アカデミー」の2年目の後半からボロス(クロアチア)と一緒にコーチをやっていた。その頃はプラオゼ(元ドイツ男子監督)だったり、ワグナー(元ボルシア・デュッセルドルフのコーチ)、マリオ(・アメズィッチ)などと一緒にやってました。コーチングの面白さがだいぶわかってきた。でも、辞めることになってしまった。

 

●ーー「シュラガー・アカデミー」がだめになっても、他のクラブやナショナルチームでコーチを続けることはできなかったのかな。

梅村 ヨーロッパではプロコーチの事情は良くないんですよね。

 

●ーーそれが今のヨーロッパ卓球の地盤沈下につながっているよね。

梅村 そうなんですよ。コーチ業で生活しようと思っても、稼げるところが少ない。タイミング良くどこかのナショナルチームから声がかかればいいけど、なかなかそういうタイミングも合致しない。今村さん(大成・前タマスヨーロッパ社長)にはこの件では相談させていただいて、いろいろアドバイスをいただいた。

その時に、いくつか選択肢もあり、日本に帰る選択肢もあったけど、せっかく何年もドイツにいて、コミュニティーもできて、自分と同世代の人がコーチになったり、協会に入ったりして、このコネクションをうまく使える仕事に就けないかなと思っていたんです。日本に戻ったら、このコネクションをうまく使うことができなくなるんだろうなと思いましたね。本当にいろいろやってみて、自分のできること、自分が築いてきた人とのつながりが使えないのかと考えたんです。

自分の能力が足りなくてできなければ、日本に帰るという選択肢も持っていたけど、日本に帰るのは最後の選択肢だった。今村さんに相談していく中で、タマスに拾ってもらった感じですね。

 

2004年アテネ五輪に出場した梅村さん

 

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