卓球王国 2022年6月21日 発売 vol.303
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今野の眼

ありがとう東京アート。強かった「暴れん坊アート」、君たちを忘れない

 

 

日本リーグで活躍する上江洲(右)と坪井のダブルス

 

東京アートの黄金時代の中心にいた韓陽(元五輪代表)

 

韓陽とともに黄金時代の一翼を担った遊澤亮

 

日本リーグで圧倒的な強さを誇った
東京アートの突然の休部

 

それは突然の一報だった。
卓球界を支えてきた東京アート男子卓球部の今年度いっぱいでの休部の情報。15日から卓球部員のツイッターで休部の報告があり、加盟していた日本卓球リーグ(実業団)にも休会届けが出されていた。

 

今から34年前の1987年に創部した東京アート卓球部。東京アートは1976年に創業し、パッケージ、ショッピングツールの企画・製造・販売を手掛けている。また、「あづみ野湧水」を製造するミネラルウォーター事業部もある。会社の創業者である前社長の三木正市氏に卓球王国は2000年にインタビューしている。
「大阪のパッケージ業界最王手の会社で働いていて、ぼくが卓球部を創った。その後、独立して、東京で会社を始めた時に卓球部の二人がついてきてくれた。36歳の時、身内を含めた5人でスタートした会社です」

 

会社を作って10年目、人手不足の時に、卓球関係者を通して人材を確保したという会社草創期の背景が、東京アート卓球部創設の理由のひとつだった。「日本リーグで優勝するために卓球部を創ったわけではない。まずは人材確保。うちの会社はすべてが家族的だし、みんなが卓球部に関心を持ってくれるから、喜びを分かち合うことができます」(三木前社長)。

 

オーナーの卓球への思いが東京アート卓球部を強いチームにしていった。前社長はいつも会場に駆けつけ、卓球部を応援するのが常だった。創部5年目の東京アートは1992年に日本リーグのチャレンジリーグに参戦。1994年に日本リーグ(実業団)に正式に加盟し、2000年に1部リーグで初優勝すると、このチームは常勝軍団の道を歩むことになる。
日本リーグでは歴代最多の26回、全日本選手権団体の部では歴代1位の15回、全日本実業団選手権大会では9回の優勝、JTTLファイナル4では大会スタートから9連覇を果たすなど16回の総合優勝を積み重ねてきた。五輪代表に遊澤亮、韓陽、世界選手権日本代表に、塩野真人、村松雄斗、高木和卓、張一博らを送り出した。

 

暴れん坊ではなかったが、努力家・塩野は東京アートで力をつけ。世界代表に選ばれた

 

世界代表にも選ばれた村松

 

 

それまで日本リーグの上位で活躍していた協和キリン(前協和発酵)や、シチズン時計などの古豪チームと東京アートのチームカラーは違った。ワイルドで、ある種荒々しい勝ちっぷりに会社が横断幕に掲げたのは「暴れん坊アート」という言葉。どこかしっくりくるニックネームであった。
アマチュア選手が中心だった日本リーグの中でいち早く契約社員という形で選手をサポートし、ほぼフルタイムに近い形で練習環境を整えたのも東京アートだった。

 

今年度も全日本団体、後期日本リーグ、JTTLファイナル4を制していた東京アートには、小西海偉、村松、高木和、坪井勇磨、上江洲光志が所属し、4月からは木造勇人の入社も予定されていただけにショックは大きい。名門の企業チーム卓球部の休部は2009年2月の日産自動車以来となる。
しかし、1年間の練習場の使用が許され、社員として雇用されている部員もすぐに退社することはないと聞く。選手たちは次の「戦いの場」を求めることになるのかもしれない。
休部と言っても、会社の卓球部への配慮も感じられ、コロナ禍で業績が苦しい中で卓球部をなんとか継続させようと努力をしていたことがうかがえる。会社としても苦渋の決断だったと推測できる。

 

企業スポーツはその時の経済状況でスポーツ部の継続や消滅が左右される。企業のスポーツ部である限り、これは避けては通れない。
会社全体でリストラに取り組もうとする時に、卓球部の運営予算は全体の中では微々たるものかもしれない。しかし、日産自動車卓球部休部の時がそうであったように、社員数の削減や全体の経費削減を掲げる時に、直接業務と関係ない運動部を残すことを会社の経営者は選択できないだろう。

 

現在、琉球アスティーダで監督を務める張一博氏も東京アートのOBである

 

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