日本卓球界は優秀な人材を失ったのだろうか。それとも新たなプロ卓球選手の形を彼が示してくれることを喜ぶべきだろうか。
卓球関係者の誰もが将来のナショナルチーム監督候補と名前を挙げていた上田仁がドイツに旅立つ決意をした。ブンデスリーガ1部リーグの中堅クラブ「ケーニヒスホーフェン」との契約だ。
その背景にはTリーグが2018年に創設され、プロ選手が一気に増えたもののチーム数が増えずに上田のように実力のある選手でさえも出場機会に恵まれずにいる実態がある。プロ選手として出場機会を求めて海外に渡るのは当然の行動とも言える。
さらに、日本ではまだアマチュアリズムの時代の名残か、30歳を超えると、「現役終盤、もしくは引退」という言葉や扱いが選手に向けられているということだ。
ヨーロッパでは違う。日本のように低年齢で卓球を始める選手が少ないこともあるが、プロ卓球選手という「職業」のために、彼らはできるだけ長くプロ選手として活動を続ける。それは家族を養うという意味でもある。
31歳にして、東京の家を売り払い、家族とともにドイツに渡る。できるだけ長くプレーを続けたいと上田は語る。彼自身が、新たな日本のプロ選手のロールモデルになるかもしれない。
上田仁のインタビュー後編を掲載する。
インタビュー=今野昇
●-上田君は青森山田時代ににブンデスでやった経験がありますね?
上田 高校3年の時、2部リーグの「ハーゲン」でプレーして、邱健新さんの「フリッケンハウゼン」で練習していました。2部リーグで1番か2番くらいの成績で、次のシーズン、1部の「ユーリッヒ」からオファーがあったんですけど、大学の単位のこともあり、ドイツに行く勇気がなく、日本にとどまった。それもあって、ずっと「あの時ドイツに行っていれば、自分の卓球人生も変わっただろうな」という気持ちもありました。結局、会社を辞めて、今はプロになっているけれども、あの時にドイツに行っていれば違う道を歩いていたのかなと思います。
そこに関しては後悔ではないけれども、現役の時にブンデスの1部リーグを経験したいという思いがずっとありました。
●-13年間、心の中でくすぶっていたものがあったんだね。
上田 結局、ぼくは勝負しているようで逃げていたんです。一歩踏み出せなかった。今こういう話しをしていますけど、今回ドイツに行くと決めてからいろいろ考え始めたんです。ぼくの性格上、頭でいろいろ考え始めると足が止まって動かなくなってしまうんです。行くことだけ決めて、行くと言ってしまってから、こういうこともあるんだなと思うようになっただけです。本当は何も考えずに家族が背中を押しているから行く、ということだけだった。考え始めたら絶対行けなくなる。
●-上田君の今まで歩んだ中では全く違う行動だったんだね。
上田 チームとかにはいろいろ言っていますけど、本音で言えば、決断して、後に引けない状況からいろいろ考えている。こういうことができるな、あれもできるなと後付けですね。
●-ドイツで生活することも大変だろうし、奥さんはどう言っていたんだろう?
上田 ぼくもそうですけど、年齢を重ねてくると、いろいろと囚われ過ぎていて、お互いがもっと視野を広げたいと話をしていました。特にコロナになってから生きづらくなったと正直感じていました。もっと自己主張しないと、「いい人」だけで終わってしまう。ぼくは今まで自分に足りない部分をずっと考えてきた。結局、「ただのいい人」なんですよ。
●-ただのいい人だけじゃなくて、才能のある人と思っていたけど。
上田 妻にもずっと今年は「引退したほうが良いんじゃないの」と言われていました。その中でドイツでやると答えを出したら、「それなら私も行くよ」となりました。指導者の話をいただいた時も、仮に自分が指導者になっても、自分の性格だと、結局、選手時代に抱えている悩みを指導者としても抱える気がしたんです。もっと自己主張をしていかないと、これから先も難しいかなと思いました。ドイツに行ったから変わるとは言えないけど、自分で感じるもの、自分で変えてみようという気持ちが必要だと思いました。
今、日本のトップでやっている人は若い時に海外に長く行っていて、自己主張をしっかりできるんです。それは絶対プロとして必要だと思うんです。ぼくは自分の意見があっても、気を遣って、バンと言えない。そういうのに悩んでいる自分も馬鹿らしくなっています。もっと広いところから日本を見て、自分を見つめ直すことも必要です。
●-ドイツに行ったら絶対変わると思う。確かにドイツなどを経験した選手は見ていると変わっていくことを実感するし、よく上田君が決断してくれたなと思う。
上田 Tリーグのためと大きく言ってますが、結局は自分のためでもあります。でも正直Tリーグも本当に良くなってほしいし、ぼく自身も実体験としてドイツで感じたい部分もあったんです。
●-ケーニヒスホーフェンには板垣さんがいたし、40歳を超えて活躍しているシュテガーもいるね。
上田 ぼくが18歳でドイツに行った時に10歳上のシュテガーが「フリッケンハウゼン」でやっていて、一緒に練習をしていた。板垣さんからは「上田は絶対ブンデスを経験したほうがいい」と言われていて、特にシュテガーは今年ケーニヒスホーフェンとの契約が最後のシーズンなので「シュテガーと一緒に絶対やったほうがいい」と言われたのも大きいですね。
最初はデュッセルドルフに家族で住もうと思っていたんですが、板垣さんから家族でデュッセルドルフに住むのは大変だし、奥さんと子どものためにも田舎のほうが良いと言われたんです。ぼくも試合で家を離れることが多いので、そういう時に板垣さんの奥さんがいるのは心強いです。
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