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インタビュー

【PEOPLE】仲間に愛される「南波パパ」は、日本卓球界を支える縁の下の力持ち

南波和彦は周りの人を惹きつける、「陽」のオーラを放つ人である。
南波がプレーする埼玉の老舗(しにせ)クラブ、一球クラブのメンバーでダブルスパートナーでもある本橋道直(2019年全日本マスターズ・ローシックスティベスト8)は、「南波さんをひと言で現すと『気配りの人』。どんな人に対しても細やかな心配りで対応してくれる人ですね」と語る。「転勤から埼玉に戻ってきて、どこで卓球をやるかと考えたら一球クラブかなと思った。本当に楽しい仲間たちと、楽しく卓球がやれていますね」(本橋)。
趣味は卓球、家族は揃って卓球人。さらに「第二の人生」として日本卓球協会事務局で働くことを選んだ。実に濃度の高い、南波の卓球人生とは?

 

−南波さんが卓球と出合ったのは、何歳の時ですか?
南波和彦(以下・南波):卓球を始めたのは高校からです。私は新潟の柏崎市出身で、小学校・中学校とずっと水泳をやっていました。今は跡形もないですけど、当時はちゃんと逆三角形の体型で(笑)。でも体が小さかったので、選手として水泳を続けるのはちょっと難しいだろうなと。

柏崎高校に入学して、高校でやるとしたら柔道か卓球かなと思って、新入生勧誘の時期に友だちと柔道部に見学に行きました。そうしたら先輩が張り切り過ぎたのか、模範試合で部員を絞め落としてしまったんです。さすがに怖くなって、「これはもうやめよう、卓球にしよう」と。

−高校から卓球を始めて、小学校や中学校からやっている子に勝つのは大変ですね。
南波:最初はチームメイトにも全然勝てなかったですけど、同期に揉んでもらったりして、3年生に上がる頃には何とかレギュラーとして団体戦にも出られるようになりました。プレースタイルはずっと右のペンドライブ型です。

−卓球というスポーツの、どこに魅力を感じたんでしょう?
南波:始めたのが遅かったせいもあって、とにかく自分がうまくなって、強い人にも良い勝負をしたり、勝てるようになっていくのが楽しかったですね。それで卓球にのめり込んでいった。
強い人と試合をすると緊張したり、力が出せなくなる人もいますけど、私はあまりそういうのを感じたことがない。相手が強ければ強いほど「なんとかしてやろう」「ちょっと爪痕残してやろう」と思うんですよ。それで実際にやると良い勝負になったり、時には勝ってしまったり、そういう試合が結構あります。気持ちで負けちゃいかんと常に思っているし、向かっていく姿勢は常に持つようにしていますね。

2019年全日本クラブ選手権で、気迫あふれるプレーを見せる南波

高校を卒業後、「英語が好きで自分から勉強していた」という南波は、上京して獨協大に入学。当時、関東学生3部リーグの獨協大で揉まれ、ますます卓球に熱中していった。
社会人になってからは、得意の語学を生かして旅行会社に就職。世界40カ国以上を飛び回り、残業や週末出勤も当たり前だったというが、大学卒業後の2年ほどの期間を除いて、常にラケットを握り続けた。埼玉・一球クラブに籍を置き、30歳の時に国体・成年2部の埼玉県代表として関東ブロック大会に出場。全日本マスターズもサーティ(30代)から各年代に出場している。

 

22年6月に石川で行われた全日本クラブ選手権では、惜しくも準々決勝で敗れたものの、ベスト8に入賞。2018・2019年大会でもベスト8に入っており、上位常連にの強豪クラブになっている。チームの一員である瀬川岳伸は、南波について「なくてはならないチームのムードメーカーですね」と語る。
「普段は温厚でジェントルマンな人なんですけど、驚くのが試合になるとものすごく気合いが入る。有り余るファイトでプレーするので、それに釣られてチーム全体がすごく盛り上がる。気迫のガッツポーズを見ていると、応援するほうも力が入るし、それでクラブ選手権もみんな頑張れたというのはあります。本当に感謝しています」(瀬川)

2022年全日本クラブ選手権50代の部ベスト8の一球クラブのメンバー。左から瀬川岳伸、小宮信一郎、南波和彦、本橋道直、渡部裕二

 

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