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全日本卓球2022

大事故から全日本出場。元教え子の奇跡に、言葉にならない思いを語る

2018年11月に瀕死の事故に見舞われながらも、奇跡的な回復を見せた津村真斗。兄・優斗に誘われて全日本卓球鳥取県予選に出場し、劇的な経緯で本大会・男子ダブルスに出場。25日の初戦で強豪・東京アートペアに敗れたが、爽やかな笑顔を見せた。(詳しい経緯は以下の記事を参照)

瀕死の事故から3年。兄弟で奇跡の全日本卓球複出場 -津村優斗・真斗

瀕死の事故から奇跡の出場・津村兄弟ペア、全力出し切り爽やかな笑顔

強豪の坪井/上江洲ペア相手に打ち合いを演じた津村兄弟(奥左が弟・真斗、右が兄・優斗)

津村真斗は中学2年時に岐阜・富田高と連携して練習する長森中に転入。そして岐阜に移って半年後に事故に見舞われた。その当時の状況から、今大会に至るまでの経緯と思いを、富田高・近藤琢爾監督に聞いてみた。

富田高・近藤監督

「事故直後、病院の先生からは最悪の事態の可能性から話されました。『回復は本人の若さにかけるしかない』とのこと。とにかく一命は取り留めて欲しいと願うばかりでした。幸いに最悪の事態は避けられ、そこから7ヶ月後には日常生活ができるくらいに回復しただけでも、本当に奇跡的なことでした。

事故の後も、富田に戻ってきてくれることを前提に、トレーナーと相談したり、入学の準備なども進めていました。可能性が低いことは分かっていたけど、当時の私には、彼が戻ってくる可能性を捨てる選択肢はなかった。ただ、翌19年8月の時点で、『腕を振ると鎖骨が外れてしまうということで、復帰を諦めた』という連絡を受けました。残念でしたが、そこまで回復したこと自体に感謝の気持ちでした。

実は、卓球王国の記事で、入院中に富田のジャージを着て生活していたということを知ったんです。何度も見舞いに行っていたのに、当時の私はショックや自責の念でメンタルが壊れかけていて、その時の状況を思い出せない状態でした。そこまで富田に戻りたいと思っていてくれたことが、本当に嬉しいですね。

その後もずっと真斗君のことは私の頭の中に残っていました。そして昨年(21年)10月のある日、富田高のミーティングで、私は真斗君のことを話題にあげ、次のような話をしたんです。『私は選手をひとり殺してしまったと思った。そんな経験があったから、選手たちがいること自体の有り難さを痛感した。監督は選手ありき。だからこそみんなを大事にしている』。

そして、ちょうどミーティングの翌日に、真斗君のお父さんから電話がかかってきた。『兄と組んで全日本予選を通った』と聞き、最初は嘘じゃないかと思った。それくらい信じられないことで、お父さんに対して何を言ったのか分からないくらい感無量でした。

今回のダブルスの試合は、泣かないようにせねばと思って見ました(笑)。自分の中では中学2年で止まっていた真斗君が、瀕死の事故の後にこんなにやれるんだと思って感動でした。彼は緊張しいで、練習では結構ブンブン振っていたけど、試合になると固くなり、入れにいくことが多かった。でも今回の試合ではブンブン振っていて、昔の練習を見ているようでした。言葉では表し切れない思いで試合を見ました。

改めて、奇跡は起こるもんだなと感じましたね。あんな姿を見たら、私も頑張らないわけにはいかない。富田高の指導では、日本一という言葉を安易に使いたくないという思いがあったけど、久しぶりに日本一という言葉を目標に頑張ろうという気持ちにさせられました」(近藤監督談)

津村兄弟は敗れはしたが、爽やかな笑顔を見せた。左はベンチ入りした父・佳彦さん

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