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インタビュー

「今回のインカレ優勝は松蔭ファミリーみんなで勝ち取った優勝なんです」元全日本チャンピオン寺田愛

寺田 愛

神戸松蔭女子学院大学卓球部コーチ

 

 

確かに返事は遅かった。
インカレで初優勝を遂げたあとに、インタビューを申し込んでも何日か返答がなかった。
「取材を受けようかどうしようかと、すごく迷っていたんですよ」と寺田愛は言う。
現役時代、熊本の「坂田三姉妹」は卓球界では有名な存在だった。三女の坂田愛は1990年代では珍しいシェーク両面裏ソフトドライブ型。回転量の多いドライブと安定感で全日本選手権で連覇を続けていた小山ちれ(中国名・何智麗/元世界チャンピオン)の連続優勝を6で止め、全日本チャンピオンとなった。しかし、それからほどなくして2000年のシドニー五輪アジア大陸予選で敗れ、スパッとラケットを置いた。しかも、その大陸予選で通過したのは次女の坂田倫子だった。
現役引退後は1年間のブレイクタイムのあとに、神戸松蔭女子学院大学の卓球部のコーチについたが、メディアも彼女を取り上げることはほとんどなかった。今回の取材への迷いは、自分ではなく、頑張った選手たちを取り上げてほしいという気持ちの表れだった。

聞き手=今野昇

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てらだ・あい
1974年9月14日生まれ、熊本県出身。旧姓:坂田。卓球三姉妹の三女として全国大会で活躍し、ホープスとカデットで全国優勝。熊本中央女子高卒業後、1993年に日本生命入社。1998年12月の全日本選手権では連覇を続ける小山ちれを破り、初優勝。2000年3月に現役を退いた。2001年から現在まで神戸松蔭女子学院大のコーチを務め、今年、インカレでは初優勝を果たした

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1999年2月号の卓球王国の表紙を飾った坂田(旧姓)愛さん

 

1998年度の全日本選手権決勝で、小山ちれを破って優勝した坂田愛さん(寺田)

 

 

熱い思いをもった学生たちとの
出会いで心を動かされた

 

●神戸松蔭女子学院大(以下神戸松蔭)のコーチになったのはいつですか?
寺田 2001年ですから、もう20年以上前ですね。

●なんか現役の時と変わらないですね。
寺田 よく言われます(笑)。

●そもそも、なぜ神戸松蔭に来たんだろう。
寺田 2000年3月に現役を終えて、1年間ワーホリでニュージーランド行っていた時に、松蔭に誘って貰いました。現役を退いたばかりで、少しゆっくりしようという気持ちで海外へ行っていたので、卓球からはしばらく離れるつもりでしたが、神戸松蔭の川波(豊)監督と主人(T’s卓球プラザ・寺田憲治)、当時その田卓研(兵庫)の高橋エジソン文博さんの同級生仲良し3人組で内々に私を神戸松蔭に入れようと画策されていたみたいです(笑)。

●小さい頃から熊本の坂田三姉妹は有名で、厳しく指導されていたのも有名で、そのまま日生(日本生命)でフルタイムで卓球をやっていた。現役の時にインタビューした時は卓球を続けることは辛い面もあるんだろうと思っていたけど、現役引退とした時もまだ若いですね。
寺田 7年間日本生命でお世話になり、25歳で引退しました。

●若いよね。今の選手だったらガンガンやっている年齢です。
寺田 今と比べると、私が現役の頃は、全体的に女子選手の引退が早かったです。私もやり切った感じがありました。

●やり切って休憩したいからニュージーランドに行ったんですね。向こうで何してたんだろう?
寺田 ワーキングホリデーの制度を使って最初の2カ月間は英語学校に行って、あと観光したり、スノーボードを楽しんでました。

●卓球に戻るのは嫌だったのかな。
寺田 卓球以外の世界も体験してみたいと思ってたし、指導者として務まるのか?と不安もありました。熱い思いをもった学生たちとの出会いで心を動かされて、不安もなくなり指導が楽しいと思えるようになりました。

●その頃の成績は?
寺田 私が始めた時は関西学生リーグで6チーム中5位でした。

●チームが変わってきたと感じたのはいつ頃でしょう。
寺田 チームとしては、当時の1年生の選手たちが4年生になる時には関西で優勝と目標を決めて、達成することができました。3年かかりました。

●寺田さん自身は小さい頃からお父さんの指導のもと、厳しく教えられ、卒業しても日生という当時珍しかったプロ集団でやっていました。つまり学生スポーツとは無縁のところで育っています。大学の卓球部はどんな感じでしたか?
寺田 学生たちの意識が高かったので、指導がやりにくいとかはありませんでした。ただ、授業もありますし、大学の閉門時間が早いので練習時間の確保が難しかったです。平日の練習時間を朝の9時から閉門の19時半まで、授業の空き時間を練習へ、とにかく練習時間を増やすことに力を入れました。

●寺田さんが来て関西学生リーグでの初優勝は2004年の秋ですね。その次の目標はどこに置いたんだろう。
寺田 チームとしては引き続き関西学生リーグ優勝、インカレ優勝、個人戦では全日学全員出場を目標に置いてました。

●学生はスポーツ推薦で入ってきても授業優先で、単位取得の優遇もないんですね。
寺田 卓球部は強化クラブですが、授業へ参加や態度は模範的であって欲しいと思ってます。教員免許や保育士資格を取りながら卓球との両立を目指す学生もいます。試合で授業を欠席することもありますが、単位を取りこぼさずに、練習時間の確保を目指してます。

 

「チャンピオンガールズ」神戸松蔭女子学院大学卓球部のみなさん

 

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