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インタビュー

【People】熱い情熱で、苫小牧の卓球を支え続けて45年 – 菊池吉幸

菊池 吉幸[北海道菊卓会]

 北海道苫小牧市で子どもたちの指導を続けて45年。老舗クラブチーム「菊卓会」で、76歳の今もエネルギッシュに子どもたちを教える菊池吉幸の情熱の源はどこにあるのだろうか。

 

1946年(昭和21年)に北海道夕張市で生まれ、小学1年時から苫小牧市で育った菊池。69年に東京・国士舘大の体育学科を卒業後に地元に戻り、市内小中学校の代替教員、浦河町教育委員会 体育指導専門職員を経て、76年から苫小牧教育委員会 体育専門職員となった。以降、定年まで市内でスポーツの普及・振興に従事し、苫小牧市スポーツ課長、苫小牧市総合体育館館長などを務めた。

その仕事の傍ら、78年(昭和53年)、菊池が32歳の時に卓球クラブチーム「北海道菊卓会」を設立。菊池が卓球の指導の道に進んだのは、故・石塚健三郎の影響だった。石塚は、後にラージボール卓球の普及にエネルギッシュに活躍した人物で、その熱量が菊池に受け継がれたのかも知れない。

「国士舘大卓球部時代、監督だった石塚先生が立正学園女子高の指導もされていて、石塚先生から『一緒にやろう』と誘われた。厳しい体育会系の時代ですから下働きもさせられましたが(笑)、先生のおかげで勉強をさせてもらいました。私は選手としてはあまり強くなかったけど、石塚先生のおかげで卓球の指導という道を知った。それが今の私につながっています」

今でこそ、全国各地に卓球のクラブチームやスポーツ少年団、あるいは卓球スクールなどがあり、小学生時代から卓球に取り組む子どもたちは多いが、78年当時は中学・高校の部活動が中心の時代。菊卓会は、市内では他に先駆けて誕生したクラブであり、全国的にも老舗の部類に入る。

「立ち上げた当時、ここら辺では多球練習をやっているのはうちのクラブくらいだったと思います。円山クラブの荻原正憲さん(関連記事はこちら)、北見クラブの小沢徹男さん、南茅部スポ少の上山悟さん、北海道日大高(現・北海道栄高)の吉田國男先生ほか、道内の多くの熱心な指導者から影響を受けて、勉強させていただきました。
長らくはメンバーは中学生がほとんどで、中学で卓球を始めた子どもたちをいかに強くするか、試行錯誤でした。でも立ち上げから10年以上は、なかなか勝てなかった。『こんなに一所懸命やっているのに、なぜ勝てないんだ?』と悩んでいたのですが、技術だけ教えてもダメだと気づいたんです。自立した選手になり、そして精神面でも強くならないと1点差の試合で勝てないんだと、私自身の考え方を変えました。すると95年に全日本ホープスの部の予選で全道優勝の選手が出たことをきっかけに、全国大会出場が続くようになったんです」

菊卓会の立ち上げから20年ほどは、菊池さんの自宅の裏に作った練習場で練習。老朽化で使用できなくなり、その後は市内体育館の一般開放などを利用して練習を続けている

菊卓会は45年間、ほぼ毎日練習を続けてきた。中学生は塾などがあるため週5回くらいくらいの練習となるが、菊池自身は年中無休での指導だ。「中学生は部活の後に来ます。学校の部活で仲間とともに活動することは大事で、部活をやらないでクラブに来るのはダメ。これは昔から変わりません」(菊池)

通常の練習以外にも、遠征や練習会も積極的に行っている。たとえば2022年の1年間では、道内各地への遠征が15回。練習会は菊卓会主催が7回、他クラブ主催が6回。他にも、苫小牧市内の小・中学校卓球部の練習受け入れも約20回行い、選手だけでなく、卓球未経験の顧問にも指導法を伝えている。これらの積極的な活動の中で、指導方針も時代とともに変わってきた。

「昔は基礎練習を何時間もやらせていたけど、試合で使う技術をやらないといけないと気づいた。皆、勝ちたくて入ってくるのだから、早く試合に出して勝たせてあげたい。そのためにサービス・レシーブを優先して練習しています。
また、若い頃は選手の悪い点をすぐ注意していた。今は重要なポイントは伝えますが、試合中に戦術についてすべてを言わず、自分で考えさせるようにしています。目標を持ち、自立して自分で考えられるようになれば、必ず強くなります。そして前提として、楽しくないと続けられない。夢を持ち、楽しく元気に卓球することをモットーにしています」

会員の石川隼丞選手は、2022年8月に地元・苫小牧で行われた全国中学校卓球大会に、団体(和光中)とシングルスで出場。開会式では選手宣誓も務めた。同大会には、菊卓会からは計4名がシングルス出場を果たした

過去のエピソードを尋ねると、「何十年もやってきて、成功より失敗ばかりでした」と苦笑する菊池。00年全国中学校大会・男子団体戦に苫小牧市立啓明中で出場した際のこと。偵察がてら、同じグループの南曽根中(福岡)の試合を観戦していたが、4番までの試合が終わった時点で時間が遅くなったため、5番の試合を観なかったという。「そして実際に南曽根中の対戦で5番ラストまで回ったんですが、5番にペン粒高の選手が出てきてビックリした。粒高への準備ができておらず、うちが負けてしまったんです。結局、南曽根中はベスト4まで勝ち上がりました。これは本当に大失敗で、選手には申し訳なかったですね」(菊池)。

試行錯誤の指導に細かい失敗はつきものだが、継続は力なり。45年間ほぼ無休の活動の中で、菊卓会は個人・団体合わせて、のべ50回近く全国大会に選手を送り込んできた。会費は会場使用料とボール代のみ。完全なボランティアで長年にわたり指導を続けてきた菊池の情熱には、ただただ頭が下がるばかりだ。なぜそのような情熱があるのか、という問いに対しては「教えることが好きなんだと思います」という明快な答え。このシンプルで強い思いで、子どもたちに向き合い続ける菊池。時代とともに指導方針こそ変わってきたが、菊池のあふれんばかりの情熱は、ずっと変わらない。

(文中敬称略)
text by Hiromoto Takabe

菊池 吉幸(きくち・よしゆき)
1946年10月13日生まれ、北海道夕張市出身、小学1年時から苫小牧市で育つ。国士舘大卒業後、地元や近隣での仕事を経て、76年に苫小牧教育委員会体育専門職員に就き、定年まで市内でスポーツ普及振興にあたる。78年に卓球クラブチーム「北海道菊卓会」を立ち上げ、以来45年間ほぼ毎日子どもたちの指導を継続

会員はすべて小・中学生で18名(23年2月現在)

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