野球少年だった島立は、中学で野球部に入ると決めていたが、地元の中野第九中学に野球部がなく、親友に誘われて卓球部に入った。「始めてみるとすごく楽しくて、部活だけでは足りなくて、近所の卓球場に通いました。新中野卓球場や本町卓球場に行って、ダブルスを組んでいた部員や大人の人たちとやりました。とにかく楽しくて、正月以外は毎日卓球をしていましたね」。
中学時代の成績は、中野区でダブルス優勝、シングルス2位。「都大会ではダブルスで決勝に行ったことがありますが、優勝はできませんでした」
高校は進学校の都立西高に入学。中学時代は卓球ばかりしていたのだが、「(勉強については)要領が良かったんだと思います」ということで学区内一の進学校を受験した。
高校に入ったら、憧れていた強豪のアメリカンフットボール部に入ると決めていた。だが、入部説明会で「体が小さいからだめだ」と入部を断られた。落ち込んでいたところに、旧知の卓球部の部長から「なんで卓球部に来ないんだ」と声をかけられ、卓球部に入部した。
「西高卓球部は、荻村伊智朗さん(故人。世界選手権で13個の金メダル獲得、元ITTF会長)がOBでしたので、伝統校的な雰囲気は残っていました。卓球部の顧問の先生はかなり高齢でしたが、荻村さんが西高時代に顧問をされていた先生でした。そんなこともあって毎日練習はしていましたが、中学の時ほどは熱中していませんでした」
進学校ということで部活動は2年生まで。学区内の大会では入賞していたが、都大会では上位に勝ち上がることはなかった。「卓球をやりながら、空いた時間は遊んでばかりいたから成績も下のほうでしたね」
高校3年では受験せず、一浪で武蔵野美術大学の建築学科に進学した。
「西高から建築学科のある大学に進学となると、東大か早稲田大でしたが、ぼくの学力では到底入れない。友人のお兄さんがムサビ(武蔵野美術大学)にいて、学園祭に行ったことがありました。その時に美術大学の学園祭のすごさに圧倒されて、ムサビにも建築学科があることを知り、一浪してから受験して、合格できました」
大学ではヨットサークルに入った。「卓球は完全に辞めて、チャラチャラと遊んでいましたね」と振り返る。
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