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インタビュー

大会を陰で支える『卓球大会運営のスペシャリスト』

大学卒業後は都内のインテリアデザイン会社に就職。意匠設計を手掛けながら、夜は六本木に飲みに行き、休日はゴルフという生活を送っていた。「卓球は旅行で温泉に行った時にやる程度でしたね」

卓球から離れていた島立が卓球を再開したのは30代半ばになってから。中野を歩いていた時に中学時代の卓球部の同級生に出会い、「昔の仲間と卓球チームを作るから、島立も入らないか?」と誘われた。

「メタボも気になり始めていましたし、久しぶりに卓球をやろうと思って実家でラケットを探したら出てきたので、仕事後に練習に参加するようになりました」。それからは、仕事を終えると中野体育館で練習して、汗を流した後に仲間と地元の中野で飲むという生活に変わっていく。

インテリアデザインの会社を辞めて、独立して設計事務所を立ち上げ、不動産の仕事も始めるなど忙しい日々が続いていたが、「卓球にハマってしまって、もっと卓球ができるようにと事務所を閉じて、中野区内にある不動産会社に転職しました。自宅が中野で職場も中野。仕事後は中野で卓球をして、その後は中野の居酒屋で飲む。すべて中野区内で済んでしまうので、妻からすれば『健全な生活』ということだったようです。卓球を再開したことで夫婦関係も良くなりましたね」と笑う。

そんな島立が卓球の裏方の仕事を始めたきっかけは、卓球好きが高じて中野区卓球連盟を手伝うようになったからだ。「『そんなに毎日中野で卓球しているなら、中野区の連盟を手伝ってよ』と中野区の会長さんに言われて、それが裏方としてのスタートです」。その後、東京都卓球連盟の理事として全日本選手権の運営に携わり、大会運営のキャリアを積んでいく。

「2012年に墨田区体育館でジャパントップ12が開催されることになったんですが、日本卓球協会から、大会運営のための会場の図面を書いてほしいという依頼がありました。それが日本卓球協会と関わることになった最初の仕事です。

その後もいつくかの大会会場の図面を引かせていただいて、2013年に翌年に控えた世界選手権東京大会の組織委員会のメンバーに誘われました。家族に相談したところ理解してくれて、不動産会社を辞めて世界選手権東京大会の組織委員会に入りました」

2014年世界選手権東京大会(団体戦)の会場風景

 

2014年に開催された世界選手権東京大会は、連日観客が詰めかけ、日本も男女でメダルを獲得するなど成功裏に終わった。

「世界選手権が終われば組織委員会は解散するので、また不動産の仕事に戻ろうかなと考えていましたが、世界選手権の準備をしている間に東京オリンピック・パラリンピックが決定したんです。世界選手権という大舞台を経験させてもらい、大好きな卓球に恩返しをしたいと思いました。そこで、2015年に卓球の大会運営を行う会社を立ち上げて、卓球の仕事を続けることにしました」

 

2014年世界選手権東京大会(団体戦)の会場風景

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