卓球王国 2021年6月21日 発売 vol.291
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インタビュー

教職を辞し卓球場経営の道へ 角井賢

地元の伝統校・長崎女子商業高の監督を務め、チームをインターハイに導くこと7度。14年の長崎国体では成年女子チームを率いて優勝監督となった角井賢。県高校卓球界では、若き名将として認識されていた人だ。
そんな「角井先生」が20年春、新しい道へ踏みだした。教員という安定的な職業を去り、民間卓球場の経営という厳しい世界へ身を投じたのはなぜなのか。そのチャレンジングな決断に至るまでの背景と思いを伺った。

「教員はほかの人でもできるかもしれないけれど、長崎で卓球専門店の娘と結婚した縁は、ぼくにしかないなって思ったんです」

それが、教職を辞すという大きな決断の背中を押した一番の決定打だったという。

「常連のお客さんやマニアックな学生が長居してくつろいでいく。そんな『小学校の隣にある昭和の文具屋』みたいなお店を、やはり残したいなと。たとえネットで安くモノが買える時代であっても」

角井の義母・溝口重子さんが切り盛りする宝スポーツ。地域の卓球人のオアシス的存在のショップだ

件の卓球専門店とは、長崎市宝町にある創業48年の老舗卓球専門店「宝スポーツ」のことだ。女性店主の義母・溝口重子さんは齢79で、そろそろ引退も考える時期に差しかかっている。23年前、創業社長の正憲さんが病に倒れ、ピンチヒッターの学生アルバイトとして店先に立って以来、角井にとっては並々ならぬ愛着のある店の将来を、どうするのか。相談相手は、溝口家の長女である妻・朋美さんだった。

「妻とは、お義父さん(正憲さん)が逢わせてくれたと思っています。アルバイト時代、朋美が作ってくれた夕食を店の2階でお義母さん(重子さん)と3人で食べるのがいつしか日常となったのですが、その時の家庭的な雰囲気に惹かれたのが交際、結婚のきっかけでした」

店をたたんでしまうのか、誰かほかの人に継がせるのか……いろいろな選択肢の中から角井夫妻が選んだ答えが、卓球場経営だった。
これまで培った知識とノウハウを生かしたコーチングを主業として卓球場を立ち上げ、宝スポーツとの両輪でやっていこう──その決意のもと「T─cube」を船出させた角井だったが、オープン時期を想定外のコロナ禍が直撃する。

「一番ショックだったのは、ぼくの一番の武器と思っていた人のつながりが使えなかったこと。オープニングに岸卓臣先生(明誠高総監督)が来ていただけるお話は流れ、メーカーさんもお呼びできず、リストアップしていたことが何もできませんでした。
4・5・6月はお客さんも少なくて、収入もわずか。でも、『卓球からコロナが出たとは言わせないようにしよう』と、全国の卓球関係の方々と励まし合って、国や県の休業要請にはきちんと従いました。
尊敬する大岡巌先生(元青森山田中高女子監督)からは、教え子にあたる平野早矢香さんのサイン入りユニフォーム付きで励ましのお便りをいただき、『これは頑張るしかないよな』と、元気が出ましたね」

角井が「技術的な基礎をイチから教わった人」と感謝する大岡氏からは、励ましの手紙と平野早矢香さんのサイン入りユニフォームが届いた

幸い、長崎県内の新型コロナ感染者数は次第に落ち着きを見せ、それに応じて客足も伸び始めた。現在ではジュニア・一般合わせて150名を超える会員とともに汗を流している。

「感謝しかないです。収入的には教員のほうが良かったかもしれないですけど、幸せですよね」

ジュニア教室の生徒たちと一緒に。大学時代は小学校教諭を目指していた角井にとって、子どもの指導は願ったり叶ったりという

角井は元々、中・高・大と国公立の雑草プレーヤーでしかなく、自らの競技実績の乏しさがコンプレックスだった。高校指導者としてのキャリア前半には、県内の有力選手を集めながら勝てない時期が続き、外野からの「角井じゃダメだ」という手厳しい非難が耳に入ったこともあったという。
だからこそ、人一倍勉強した。ジュニアナショナルチームでの指導歴もある郷里・熊本の高木誠也氏(タカギ卓球代表)を頼り、講習会に参加。全国区で活躍するチームや指導者を紹介してもらい、生徒を連れて積極的に出稽古に回った。

「高木さんには岸先生や大岡先生との縁を作っていただけて、本当にありがたいと思っています。卓球場立ち上げの際にもすごくお世話になりました。
また、長崎女子商業高の教員になりたての頃、前任の井上隆先生に手ほどきされ、人間関係を作ることの大事さを教えていただいたのも大きかったと思います。九州大会のレセプションなどでは各地の強豪校の先生方と仲良くなり、何度も練習試合にお邪魔させていただきました。
はじめは恐れ多いとか敷居が高いかなと思っていましたが、実際に行くとどのチームもすごくよくしてくれた。そのうち、力のある指導者の方と出会ったら遠慮なくガツガツ行って、『仲間に入れてください感』を出すようになりましたね(笑)」

そうした努力の甲斐あって、07年県高校総体で学校として27年ぶりの団体優勝を果たすと、その後も5度にわたってチャンピオンチームを作り上げることに成功した。

T-cubeの壁面には、角井が指揮を執り県を制覇した長崎女子商業高卓球部の新聞記事が飾られている。大切な思い出でもあり、今を生きるうえでの勲章でもある

そして、角井のキャリアを語るうえで外せないのが、14年に地元で開催された長崎国体だ。人選が難航していた成年女子の監督ポストに、思わぬ形で抜擢されたのが角井だった。代表メンバーは小野思保・野中由紀・吉田光希という全国で名を知られた選手たち。個性派ぞろいの傭兵軍団をどうやって率いればいいのか――当初は困惑と苦悩ばかりだった。

「成年の監督なんてやり方がわかりませんと、単身熊本まで行って高木さんに相談しました。すると、『正直に言えばいいよ。わからないって』と言われて、肩の荷が下りましたね。
それで、最初に選手たちに会った時に『ぼくは成年の監督経験がないから、飲み物はお茶とスポーツドリンクどっちがいい?って聞くくらいしかできないけど、どうしようか』と言ったら、3人とも笑って受け止めてくれました。彼女たちは本当に気さくで、高校生の練習にもよくつき合ってくれましたし、大会前最後の1週間は特に仲良くできましたね」

そして迎えた本番では、決して前評判の高くなかった長崎チームが快進撃を見せ、興奮のるつぼと化した地元の大声援をバックに初優勝を飾った。

14年の長崎国体成年女子決勝で、優勝を決めた瞬間の長崎チームベンチ。「意外とずっと冷静だったけど、最後の何本かはさすがに興奮しました」(角井/右)

「ウチ以外でベスト4に残ったのが東京(サンリツ)、茨城(日立化成/現・昭和電工マテリアルズ)、広島(中国電力)。それぞれ有名な実業団の監督さんばかりの中で、長崎のベンチ……あいつ誰?みたいな(笑)。
とにかくしびれるような試合の連続で、『うわー、こんな感じで勝てるんだ』などと、楽しませてもらいながら勉強させてもらいました。勝ってやろうとかは全く思っていなかった。
優勝して一番感激したのは、ふだんはライバルとして火花を散らしていた鎮西学院高・川﨑健先生が号泣しながらマスコミの記者さんたちを押しのけてぼくに駆け寄ってくれて、ガッチリ握手できたことです。長崎の卓球界にとって、本当に大きな日本一だったんだなと、ジーンと来ましたね」

長崎国体優勝の賞状と表彰式の写真。卓球場のオープン記念にと、パネルにして送ってくれたのは熊本の高木氏だった

無名選手から県ナンバーワンの高校指導者、さらに国体では日本一の監督と、数々の冒険を経て、角井は卓球場経営という新たな挑戦に臨む。この先に、どんな未来を描いているのだろう。

「自分がこれだけ幅広く活動してきたので、全国を目指す子も1回戦を勝ちたい子も、ママさんもシニアの方も、どのレベルの人にも幅広く経験を伝えたいですね。『一期一会』の気持ちで、地元と人の縁を大切にしていきたいです」

特定の学校やチームに肩入れせず、スポーツ店の人間として、地域のなるべくたくさんの人に自らのノウハウと知識を還元していきたい――それが、角井の目指すところだ

角井 賢 つのい・さとし
1977年8月1日生まれ、熊本県出身。東稜高、長崎大卒。01年より長崎女子商業高監督。14年には地元長崎国体の成年女子監督を務め優勝。20年3月限りで高校監督を退任し、卓球場「T-cube」を開業

People「角井賢」は卓球王国2021年5月号にも掲載しています