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インタビュー

生活から卓球を失くしたくない。北区の卓球場経営者・関口翔太

東京都北区の住宅街にある「翔卓T.T.C(以下翔卓)」。卓球台は3台、特別広いわけでもなく、有名選手を輩出しているわけでもない。ごく普通の卓球場のひとつだ。

その翔卓が自分たちで大会を企画・開催しているという。「緊急事態宣言中で卓球ができない今だからこそ、大会を行う意味があります」という関口翔太代表。その心意気と、決意を聞いた。

 

赤羽駅から徒歩15分ほどにある翔卓TTC

 

代表の関口翔太は、卓球の名プレーヤーではない。中学1年の時に卓球に出合い、そこから都内の高校を卒業。以降は就職しながらクラブに所属し、地元のリーグ戦や全日本クラブ選手権でプレーした。

そんな草の根プレーヤーが卓球場の代表になるとは、本人も全く想定外の出来事だっと言う。

 

「正直、20代の時の自分は生活もめちゃくちゃだったし、仕事も安定していませんでした。高校卒業後にすぐに就職したけど、その後はいろいろ職も変えてましたね。でも卓球だけは続けていて、やめよう、離れようとは思わなかった。

卓球の魅力は年齢関係なく勝負ができたり、パワーだけじゃなくて技術で大人に勝てる。ちょっと社会への反骨心だったのかもしれない。おれだって卓球なら社会的地位のある大人にも勝てるぞ、やっつけられるぞ!と。唯一の対向できる武器。それが卓球でしたね。

他にもバスケとかやってたんですが、それはスラムダンクとかマンガの影響を受けただけで、真剣にやった、取り組んだのは卓球だけです。

そんな時に、『卓球場の経営をやらないか?』と声をかけていただいたんです。もともとあった卓球場の代表の人がやめるから、引き継いでくれる人を探していたんですね。

今思うと、心のどこかで『卓球場をやりたい』と考えてはいたんですが、場所とか金銭的な面とか、いろいろ難しかったから決断ができなかった。雇われのコーチにもなりたくなかった。だからこの話が来た時に、『卓球場が持てるんだ』と思って、引き受けました。

経営経験はなかったけど、卓球は好きだったので、やってみたいという気持ちのほうが大きくなって引き受けたのがきっかけです。バイトで卓球のコーチをやっていたこともあったので、教えることは好きでした。

あとはもうノリですね。なんとかなる!というノリだけです。

やりがいもあるし、いろんなチャレンジもできる。売上で頭を抱えることもあるけど、充実しています」

 

本人が思った以上に経営は順調に進んでいった。月1回は広い体育館を借りて大会を開くなど、多角的に広げていった。しかし、新型コロナウイルス感染症の到来により、大会は一時中止を余儀なくなれた。

「次々に大会がなくなっていって、選手のモチベーションが落ちていることも聞いていました。でもぼくはみんなの生活から卓球がなくなってほしくないと思って、一度は中止していた大会を復活させたんです。

試合があればみんな練習をしてくれるし、目標ができます。メーカーさんも用具が売れないと困っていたのを聞いていたので、試合さえできれば、それに向けて用具を変えるきっかけになるかもしれない。メーカーさんにはお世話になりっぱなしだったので、助けになってあげたかった。

プレーヤーと卓球場とメーカー、そして地元である北区、全部を盛り上げて、卓球を忘れてほしくないという一心でした。

いざ大会を企画すると、あっという間に参加の枠が埋まったんです。みんな大会を待っていたんだと実感しました。

『関東学生リーグがなくなったので、みんなで出られる引退試合ができて良かった』と参加してくれた大学生たちもいましたね。やって良かったなぁと心から思いました。コロナというは目に見えないものとの戦いですが、皆さんの情熱はぼくには確かに見えています。しっかりコロナ対策をして大会を続けていきたい」

大会は、体育館側との連携を怠らず、健康状態申告書の提出、参加人数の制限、台の間隔の確保、各台にアルコール消毒液を常設するなど、徹底したコロナ対策を行っている。団体戦ではTリーグ方式を採用し(1番のダブルスはシングルスに変更)、必ず4番まで行うこと、ラストはビクトリーマッチにするなどの工夫をし、参加者の満足度が高いと評判だ。

奥様の杏里さん(右)と運営を手伝ってもらっている藤原夫婦

 

「やるからには絶対にコロナを出してはいけない。消毒はもちろんですが、体育館と相談して人数制限をしたり、密にならないようにしています。

Tリーグ方式は時間短縮にもなるし、みんなが出場できるので採用しています。体育館側からダブルスを禁止されているわけではないですが、コロナ禍でわざわざやることはない。

今はTwitterと公式LINEと店舗とHPで募集しています。今回の団体戦は20チーム募集したんですが、1日で埋まりました。やっぱりみんな試合がしたいんですよ。」

今、試合をやる意味。それは卓球を忘れてほしくないという関口翔太の情熱に他ならない。

 

10年前は金髪のやんちゃな卓球兄ちゃん。負けるとイライラしてラケットをぶん投げていた関口翔太は変わっていた。(文中敬称略)

 

関口翔太

せきぐち・しょうた

1990年3月16日生まれ、東京都出身。中学1年で卓球をはじめ、高校卒業後には全日本クラブ選手権1部に出場。17年に北区に「翔卓T.T.C」を設立

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