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インタビュー

「転勤族」だったからこその指導論。鳥栖卓球センター・岡本篤郎の周囲で起き始めた、幸福な変化

 「卓球場を作る」。48歳で安定した金融機関の職を辞し、佐賀県鳥栖市に「鳥栖卓球センター」を開業した岡本篤郎。そこから5年が経ち、岡本の周囲では卓球を通して幸せな変化が起き始めている。

 

●「親子で強くなれる」卓球観を変えたドキュメンタリー

 岡本少年が本格的に卓球を始めたのは中学1年生の時。本人は水泳部に入りたかったが、当時の身長が133㎝で体力がないことを理由に、母親から「卓球の方がいいんじゃない?」と勧められたのがキッカケだった。

 強い意志を持って卓球を始めたわけではなかったが、岡本が卓球に夢中になるのに時間は掛からなかった。所属する卓球部は部員数が多く、練習は上級生が優先。そのため、クラスの終礼の挨拶と同時に体育館へダッシュで向かい、上級生が来る前にボールを打った。「卓球をするために中学校に行っている感じだった」と岡本は当時を振り返る。

 中学1年の時には、当時暮らしていた宮崎県宮崎市の学年別大会で優勝。「俺ってセンスあるんだ」。当時は自らのことをそう思ったそうだが、以降は大会で優勝することはなく、いつも3回戦敗退。それでも卓球は好きで、高校、大学まで競技を続けた。

 大学卒業後、岡本は全国転勤のある金融機関へ就職。社会人となって最初の赴任先は東京だった。岡本が社会人となった頃はバブル真っ盛りのトレンディーな時代。テレビドラマ『東京ラブストーリー』に憧れ、夏はテニス、冬はスキーを興じるなど、卓球からは離れていった。

 しかし、25歳の時に地方へ転勤となると「やることがなかったので」(岡本)と卓球を再開。相変わらず3回戦負けが多かったそうだが、後に全日本マスターズに出場し、初めての全国大会も経験した。結局、地方へ転勤となり、卓球を再開したことが岡本の人生を決めることとなる。そして、「転勤」は指導者としての岡本の一つのキーワードとなっていく。

 その後も卓球を続けた岡本だが、あるドキュメンタリー番組を見て別のスイッチが入った。それは当時15歳でアテネ五輪に出場する福原愛を追ったもの。「卓球は親子で強くなっていけるスポーツだ」と強く感銘を受けた。

 岡本にとって卓球は「自らプレーするもの」だったが、そのドキュメンタリーを見て双子の長女・彩里、長男・宗一郎にラケットを握らせた。そして転勤する先々で2人をその地その地の強豪クラブに所属させる。「改めて思い返してもとんでもないクラブばかり」と岡本は語るが、いずれも五輪代表や全日本チャンピオンを輩出した、全国区の強豪クラブだった。その中で彩里は全日本バンビで3位に入賞すると、さらに熱が入り、クラブの練習がない日には岡本が2人を指導。その甲斐もあって、彩里は富田高でもインターハイシングルスでベスト16まで勝ち進み、今年度からはクローバー歯科フェアリーズの一員として日本リーグを戦う。

長女・彩里

●強豪クラブの練習法には「結果」という裏付けがある

 そうして強豪クラブで我が子の活躍を見守る中、岡本には「卓球場を持ちたい」という思いが芽生え始める。知人の卓球場オーナーにコスト面など、卓球場経営について質問もしていたが、「定年退職後では体力的に厳しい」と、48歳で金融機関を退職。2017年12月に実家のある福岡県太宰府市からも近く、交通の便も良い佐賀県鳥栖市に「鳥栖卓球センター」を開業し、指導者としてのキャリアをスタートさせた。

 これまでに鳥栖卓球センターからは全日本一般・ジュニア、全日本カデット、インターハイ、国体などへの出場者を輩出。本格的な指導者としての歴はまだ浅いが、転勤のおかげで多くの強豪クラブで名指導者に出会い、練習方法や理論に触れ、指導に関するノウハウは蓄積されていた。

 「子どもたちが所属してきたクラブの練習法や指導法には『結果』という確かな裏付けがある。そうした指導や理論に間近で触れられたこと、後に世界で戦う選手がどんな姿勢で練習に取り組んでいるのかを見ることができたのは大きな財産ですし、感謝しかないですね」

 この4月から名門・専修大で腕を磨く木谷颯太は、岡本がゼロから指導した選手。競技開始年齢の低下が進む中、木谷が卓球を始めたのは中学1年の夏。それでも中学3年で全日本男子ダブルスに出場すると、高校2年の全日本ジュニアではベスト32まで勝ち上がるなど、驚異的な速度で成長した。当然、木谷にも岡本がこれまで見て、触れてきた強豪クラブの指導のエッセンスが注がれている。本人の努力あってこそだということは間違いないが、木谷がこれまでに残してきた成績も、岡本の言う強豪クラブの「結果という確かな裏付け」によるものだろう。

 自分の子どもたちを指導していた頃は「だいぶスパルタだった」と振り返る岡本だが、現在の指導スタンスは柔和で冷静。試合になれば熱は入るが、普段の練習ではガツガツと選手に多くを求めることはしない。ただ、真剣さを大事にしてほしいと語る。

4月から専修大に入学した木谷颯太

 

●「卓球で社会貢献を」目指すは世界パーキンソン卓球大会の日本開催

 また、岡本には卓球場を経営するにあたり「卓球で社会貢献をしたい」という思いがあり、そのために卓球を通して健康の促進や維持、改善を目指す「卓球療法」の資格を取得。そんな中である日、卓球場の近くに住むパーキンソン病の患者が「卓球をしたい」と訪ねてきて、鳥栖卓球センターへ通うようになった。地元メディアで報じられた効果もあり、そこから次第に卓球場へやって来るパーキンソン病患者が増え、現在はパーキンソン病の患者を対象とした教室を週2回開催。現在は6名ほどが参加している。

 「パーキンソン病の生徒さんたちも最初はキツそうでしたが、今ではニコニコ、本当に楽しそうに卓球をやっている。最近は教室だけじゃ物足りなくて、生徒さん同士でも卓球をして帰っていくんです。みなさん、卓球を楽しみながら病気を克服しようとしている。その前向きな姿が素晴らしいですね」

 岡本はパーキンソン病患者に運動療法として卓球を広めるNPO法人「日本ピンポン・パーキンソン」では副理事長を務め、昨年から「日本ピンポン・パーキンソン卓球大会(九州ブロック)」を開催。将来的には「世界パーキンソン卓球大会」の日本開催を目指している。鳥栖卓球センターから、世界パーキンソン卓球大会へ出場者を輩出することも目標だ。

4月に開催された「第2回  日本ピンポン・パーキンソン卓球大会(九州ブロック)」(写真提供:日本ピンポン・パーキンソン)

 

 引っ込み思案だった子が卓球を通じて人間的に成長したり、パーキンソン病を患う中で運動の楽しみ、喜びを味わったり、鳥栖卓球センターで卓球に出合った人々には幸福な変化が起き始めている。

 「やっぱり卓球をやってて良かったと思ってもらいたいし、来て良かったと思える卓球場にしたいですね。卓球を通して、みんなに自分の新しい世界を広げていってほしい。それは素晴らしいことだと思います。そのサポートができたら良いですね」

(文中敬称略)

◆PROFILE

岡本篤郎(おかもと・あつろう)

1969年3月28日生まれ、山口県出身。中学1年で卓球を始め、大学までプレー。社会人となり一度卓球から離れるも、転勤を機に再開し、全日本マスターズに出場。2017年に佐賀県で鳥栖卓球センターを開業。日本ピンポン・パーキンソン副理事長、鳥栖市でプレスリリース講師としても活動中。長女・彩里は4月よりクローバー歯科フェアリーズに所属。

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