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水谷隼「オリンピックの舞台に立った人は、みんなが魔物に取り憑かれている」

このメダル獲得が自分のひとつの

ゴールだと思っていた。

そのために自分は頑張ってきた

 

 

準決勝に進んだ水谷は世界チャンピオンの馬龍(中国)と対戦した。一度も勝ったことのない相手ではあるが、五輪という舞台では何が起きるかわからない。しかし、いきなり3ゲームを連取され、万事休すかと思った4ゲーム目から水谷の反撃が始まった。

◇◇◇

馬龍との試合はいつになく緊張しましたね。これで勝ったらメダルという気持ちもあるし、今まで一度も勝ったことのない相手だから弱気な部分も出た。

当日は朝10時から試合だったのでバタバタしていた。朝10時からの試合は最近経験していない。ツアーでもいつも女子が先だし、早くても11時くらいのスタートだから。

いざ試合が始まり、0-3になった時にまだ自分の力を発揮していないなと感じました。馬龍はいつもどおりだったけど、前半は自分のミスが多かった。そこから4、5ゲーム目を取って2-3になった時には「いけるかな」と思いました。

でも、0-3のスタートは相当きつい。6ゲーム目の1-2の時の長いラリーで自分が得点できなかったので相手が息を吹き返した。それに2-3でバックにロングサービスを出して、それをレシーブから打たれて、完全に相手に流れが行った。戦術的には正しかったのに、打つ瞬間に入れにいくようなサービスになって結局打たれた。「なんでこんなサービスを出したんだよ」と思っていたら一気に2-6くらいになりましたね。

馬龍との試合が終わった時にやりきった感はありました。時折良いプレーもあったし、中国選手を相手に0-3から2-3になるのはなかなかないから。

銅メダル決定戦はその日の夜でした。大会前に(メダル決定戦に行っても)誰が来るかは予想が難しかった。オフチャロフ(ドイツ)が来る可能性が一番高かったけど、サムソノフとか黃鎮廷もマークしていた。サムソノフが来るのがわかった時にはチャンスだと思ったけど、やりづらい面もあった。でも、馬龍とやった時には体が重かったのに、サムソノフとの試合の時には身体の切れが良かったですね。

途中でフォアハンドを打ってこないなと思ったけど、サムソノフが故障(右脇腹)したのは知らなかった。4ゲーム目の9-5で少し勝ちを意識したら9-10でまくられたんです。5ゲーム目の9-6くらいで「この試合はいけるかな」と思った。

メダルを決めた時には信じられなかったですね。あの瞬間がずいぶん昔のことのようです。選手村に帰ったら夜中の1時だったし、周りには他の競技でメダルを獲った人もいますから、騒ぐことはなかった。

このメダル獲得が自分のひとつのゴールだと思っていた。そのために自分は頑張ってきた。史上初の個人戦のメダルだったので、ものすごい偉業を成し遂げたという気持ちもあります。

オリンピックでメダルを獲るために、プレースタイルも変えたし、用具も変えた。そのために1年間頑張ってきた。後戻りもできない状態で覚悟を決めてリオにやってきた。努力を重ねていく中で自分の成長を感じるんですよ。特に食生活やフィジカルの面では、3年前にロシアに行った頃からリオを目指して改良してきたわけですから。

もちろん邱さんなくしてこの成績はないです。邱さんには最近は気持ちのことを言われますね。いつも試合前には「自信を持ってやれよ、気持ちが大事だ」と。他の人が言うのと邱さんが言うのでは言葉の重みが違う。勝っている時には自信を持ったプレーができていいんだけど、負けている時にはシュンとしている。強気な水谷と弱気な水谷が出てくる。

毎試合をベストで戦うのは難しいけど、負けたくない気持ち、勝ちへの執念というのは常に高いレベルで持ち続けなければいけない。最初の試合とか次の試合で集中できない時があるけれども、邱さんにはいつも「最初から決勝のつもりで飛ばして行け」と言われます。

 

シングルスでメダルを獲って

ホッとした気持ち、

満足した部分はありましたが、

もう一個獲るぞと思いました

 

サムソノフを破り、悲願のメダル獲得を成し遂げた水谷。それは日本にとって史上初の個人戦でのメダルだった。深夜まで続いた記者会見。そして彼の周りには祝福のために大勢の人が集まった。深夜、そんな彼にお祝いのメールを送ると、団体戦を前に「卓球の革命を起こしましょう」と返信が来た。水谷の気持ちは団体での「もうひとつのメダル」に向いていた。

◇◇◇

シングルスでメダルを獲ってホッとした気持ち、満足した部分はありましたが、もう一個獲るぞと思いました。一方で、「もう負けてもいいや」という開き直った気持ちもあるし、プレッシャーから解放された感じでしたね。

でも、初戦のポーランド戦は負けると思ってました。みんながポーランドを甘く見ていた。試合前も「隼、1番がいい? 2番がいい?」というノリだった。でも、吉村と丹羽はどこにでも負ける可能性はある。ぼくが少しでも崩れたら日本は負けると思っていた。内心、「そんなに甘くないよ。ここはオリンピックだよ。そんな気持ちなら負ければいいじゃん」と思っていた。

トップの吉村が競り勝ち、2番でぼくが勝った。その時に、「おれが考えすぎていたのかな、このまま行ってくれよ」と思っていたら、ダブルスも負けて、丹羽も負けた。ぼくはあきれちゃって、5番でコートに入る時に怒っていたんですよ。「おれ、もう負けるから」と言いました。

それまでのことがストレスとしてたまっていた。みんなの相手をなめている感じが、ぼくのストレスになっていて、「そんなに日本は強くないぞ」と言いたかった。なんでみんなはこんなに余裕があるんだと。吉村も楽しんでいる感がありすぎだった。トップに出てベンチに帰ってきたら「緊張しますよ~」とか言っていて、「ふざけんなよ」と思っていた。

ぼくが5番の時にそう言ったから、ベンチはしらけていたと思う。みんなの「5番に回せば水谷さんだから勝ってくれるだろ」みたいな気持ちがわかったから、「おれは普通に負けるよ」と言いました。ぼくに頼らず、5-0で相手を倒すという気持ちで戦ってほしかったのに、誤解されていたからしらけていた。

彼らは彼らなりに全力なんだろうし、頑張っているんだろうけど、全力でプレーすることや頑張ることは誰にでもできる。メダルを獲るために選ばれたメンバーだし、絶対に負けちゃいけないという意識を強く持ってほしかった。本気でメダルを狙うなら、意識を変えていかなければいけない。

今までぼくがそんなことを言ったことはないんです。言って、険悪な雰囲気になるのは嫌なんですよ、ぎくしゃくするのは嫌なんです。ただロンドンの時には何も言えずにチームも負けた。ぼくが2勝してチームが負ける、その二の舞だけは勘弁してほしいと思っていた。

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