9月にプラボールになってから
試行錯誤してきた。
調整に3カ月間かかりました
2012年ロンドン五輪ではメダルを期待されながらも無念の敗退。翌年の世界選手権でもシングルスでは初戦敗退。水谷は辛酸をなめた。その後、ロシアリーグへ参戦し、ドイツの『フリッケンハオゼン』監督の邱建新氏とコーチ契約を結んだ。身体も改造した。この1年半で水谷隼は確実な進化を見せている。
また、1年前に結婚し、長女も生まれた。孤高のチャンピオンの中で何かが変わってきている。
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●−−1年以上継続して邱建新コーチとやってきました。彼のコーチングの良さとは何でしょう。
水谷 一昨年、コーチ契約をして、その後、全日本で優勝して、邱さんとは日々連絡を取ってきました。ひとつは邱さんの選手としての実績ですね。世界のトップで活躍してきた選手たちと同じ土俵で戦ってきた人で、自分の眼で世界を見てきた人です。たとえば、中国NTはこういう練習が多かったと言われると納得できるし、コーチとしての実績もある。
●−−コーチというのは、戦術面にすぐれた人、技術を教えるのがうまい人、メンタルを教えるのがうまい人というように、様々なコーチがいます。
水谷 邱さんはすべての能力が高い。試合の中での分析力もあります。今回の全日本でもお互いが何を求めているのかを話し合ってました。自分は試合中にこういうアドバイスがほしいということも言いました。普通、コーチにこういうアドバイスをしてほしいとは言えないけど、そのくらいの信頼感がお互いにあるから、試合前に「邱さんはこういうアドバイスが多いけど、おれはこういうアドバイスがほしいんだ」とはっきり言いました。準決勝から急にアドバイスが英語になりました(笑)。熱くなると英語になるんですよ。
●−−この1年間を振り返ると、世界選手権もあったし、12月のグランドファイナル優勝もあり、世界ランキングも5位まで来ています。
水谷 プラボールになってから過去の自分をリセットしました。世界選手権の内容は良かったけど、プラボールになって全く別の卓球をしていかなくてはいけない。今でもまだ葛藤している。言葉で表現できないくらい、用具調整は大変だった。自分が求めているプレーは一生できないんじゃないかと思うほど大変でした。最初は全然何もできなかった。
全日本の初日にラバーの硬さを少し変えました。それがぼく自身の強さだと思う。過去の結果にこだわらず自分の感覚が悪かったらすぐに用具を変更できるのが強さです。9月にプラボールになってから試行錯誤してきた。調整に3カ月間かかりましたけど、案外早く落ち着いた感じです。
●−−結婚して変わったことはありますか。
水谷 自分自身が丸くなりました。自分でも変わったと思います。行動とかもそうだし、昔の自分だったら絶対こうしなかったのに今はこうしているというのが多い。自分のことよりもまず家族のことを考えている自分がいるわけです。他人の子どもを見ていても可愛くてしょうがない(笑)。昔は「子どもはうるさいな」と思っていたのに、人間変わるみたいですね(笑)。
ただ、ぼくは真面目でもないし、好青年でもないですよ(笑)。それは言っておきます。でも練習に対しては真面目です。休みの日とかでも、ちょっと1時間だけでもやっておこうと明治大に行ったりします。前は遊びに行ったり、1週間くらい練習しなくても平気だったけど、今は少しでも時間があれば練習したいと思っているし、本当に卓球が好きだからやっています。
●−−全日本は1年のスタートなのだろうか、締めの大会なのだろうか。
水谷 スタートでも締めでもない。生活の一部みたいなもんです。ただ特別な大会であることは間違いない。観客も多いし、メディアも取り上げる。観客もメディアもいなかったら、あそこまで盛り上がらない。
●−−あと何回くらい優勝するんでしょう。
水谷 いつも優勝は無理だと思っているけど、今は9回以上優勝して、記録を塗り替えることを目標にしています。
●−−自分のピーク(頂点)は見えますか?
水谷 まだ成長できると思います。ここを改善したいというところは多い。戦術と身体は良くなってきたから、あとは技術ですね。
●−−7回も優勝していても、「技術はまだまだ」?
水谷 技術は他の選手のほうが上ですよ。
●−−イメージトレーニングで自分の完成形が見えますか?
水谷 イメージでは見えていて、これができたら世界チャンピオンだというのがあるけど、イメージどおりのプレーは実際にはできない。
●−−前よりもアグレッシブなプレーになり、台との距離も近くなっているのは単にプラボールになったからそうなったのか、自分の卓球が改造されたのか。
水谷 両方ですね。この1年間で練習メニューも変わっていますから。試合が増えたので、試合の中で自分が得点できる領域がわかってきた。台から下がったら点数は取れませんから。今は攻めて点を取りたい。今でもラリーを楽しみたい部分はありますが、ただ全日本に限って言えば、今回は台から下がる局面があまりなかった。笠原戦のように競った時には下がることも多かったし、リードされると守りに入ってしまう。
●−−世界ランキング5位、上に4人です。ここから上がるのは大変ですね。
水谷 上の選手との対戦が楽しみですね。プラボールになって、用具もやっとしっくり来ている。しっくり来てから彼らと対戦していないから、(2月の)カタール、クウェートや世界選手権で対戦するのが楽しみです。
●−−前回のパリ大会では屈辱的な敗戦を喫しました。蘇州大会はどうですか?
水谷 パリで負けたことはしょうがな↖い。蘇州のことはあまり考えていない。とにかく一戦一戦頑張ることしか考えていない。
●−−メダルは?
水谷 シングルスで獲ったことがないからわからない。(パリ大会では)ダブルスのメダルは「こんなもんか」と思いました。横浜大会(09年)の時はうれしかった、地元だったから。
●−−全日本直後に日本代表が発表されて、シングルスのみの出場になった。本当はダブルスも出たいという気持ちもあったと思う。
水谷 ぼくは受け入れるだけです。(ダブルスは)全日本で優勝して選ばれなかったらガーガー言っていたと思う。良い選手がいっぱいいるからしかたない面もある。
●−−リオ五輪は意識しますか。
水谷 意識しません。今の生活に満足していますから(笑)。
●−−子どもがいると人生観も変わるでしょ?
水谷 子どもができてから、自分の思い描いていた人生の道がまっすぐ行くはずだったのが斜めにずれている。でもそのずれているのもいいかなと思えるんですよ。自分の性格上、独身で好きなことをやって結婚はしたくないと思っていたから、今の生活は考えられないですよ。ひとりで生活しているとわからないけど、家族で暮らしていると人のありがたみがわかるんですよ(笑)。
●−−ずいぶんいい人になった(笑)。今は充実感あるでしょ。
水谷 ありますね。幸福感とかも。ただ、自分が通ったつらい道は他人に勧められないですね。
●−−卓球ファンからすれば、水谷隼が世界の頂点に立つのを見たいはず。
水谷 でも、下から追い上げられていて、同時に上を目指す今のポジションも嫌いじゃないですよ。引退する寸前に頂点に立つのはいいけど、先に(頂点に)上ったらその先が見えない。
たぶん、石川(佳純)選手のほうが全日本の記録でも世界でももっと上に行きますよ。ただケガだけは誰にもわからない。彼女がケガがないのはえらいですよ。ぼくも大学時代は、絶対自分はケガ、故障をしないと思っていた。自分の体は万能だと思ってました。
25歳から27歳まではいろんな意味でピークだと思うし、今はまだ上に行けると思っている。ここからの2年、16年のリオ五輪までが勝負で、その後東京五輪までは成長していきたい。そのためにはまず体です。技術は何とかなるけど、体がダメだったらボールも打てないですから。
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対戦が楽しみと言っていたカタール、クウェートでの中国選手との試合は、日本卓球協会の選手団の中東派遣中止によって、次のワールドツアーか世界選手権までお預けとなった。
昨年の優勝が「王者回帰の意地」だったとすれば、今回の優勝は「王者、さらなる進化の始まり」だった。家族を持ち丸くなったと言うが、卓球に対する「オレ流」のストイシズムは消えていない。
水谷隼の卓球の完成形はまだまだ先のようだ。 (文中敬称略)
水谷隼●みずたに・じゅん
1989年6月9日生まれ。静岡県磐田市出身。全日本選手権のバンビ・カブ・ホープスの各年代で優勝。ドイツ・ブンデスリーガでの卓球修行によってその才能を磨いた。09・13年世界選手権では、岸川聖也と組んだダブルスで銅メダルを獲得。全日本選手権では史上最年少の17歳7カ月で優勝し、平成26年度全日本選手権大会では7度目の優勝を達成。2014年ITTFワールドツアー・グランドファイナル優勝、世界ランキング5位(15年2月現在)
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