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アフリカの巨星、アルナが語る「ぼくの卓球は路上から始まった」

「ぼくは卓球をとても楽しんでいる。

卓球はぼくのすべてなんだよ。

ぼくの人生そのものだよ」

2016年リオ五輪の3回戦で荘智淵を破った瞬間のアルナ

 

 

●─ナイジェリアのナショナルチームに入ったのはいつなんだろう。

アルナ ぼくが最初に大会で優勝したあとに、オヨ州の代表として試合に出た。その後にぼくはナショナルチームの合宿に呼ばれて、練習相手をしながら力をつけていくことができた。大先輩のトリオラがナショナルチームにもいたし、アドバイスをくれて、とても刺激的な時間だった。でも合宿に参加しただけで、メンバーではなかった。

そして、19歳の時、07年の世界選手権ザグレブ大会に初出場した。これがアフリカ以外では初の国際大会だった。チームメイトは勇気づけてくれたし、 それまで何度かナショナルチームの合宿には参加していたけど、世界大会でのパフォーマンスも評価されて、その後、ぼくはナショナルチームのメンバーとして定着することになった。

 

●─初めての世界選手権に興奮したと思うけど?

アルナ もちろん興奮したよ。とてもハッピーで、それまでの卓球の経験の中でも最高の瞬間だった。良い記憶として残っているよ。ぼくはそこで初めて中国とか世界のトップレベルの選手を見ることができた。刺激的だった。

その後、08年の北京五輪前にナイジェリアチームは日本、韓国を含めいろいろな国で合宿をやったんだけど、合宿メンバーとしてぼくも帯同した。ハードな練習だったけど、すごくぼくの気持ちを高めて、モチベーションを上げてくれた。ぼくは北京五輪のアフリカ予選には出られなかったけど、とても良い経験をこの遠征ですることができた。この絶好の機会を与えられて、ぼくの卓球は改良されていったと思うね。

 

●─ナイジェリアの卓球というとトリオラという名前が浮かんでくるけど。彼が君にどんな影響を与えたんだろう。

アルナ 彼はナイジェリアにとって重要な選手なんだ。当時も彼はNo.1の選手だったし、彼の生活、彼の練習、彼の試合、すべてがぼくに影響を与えたし、ぼくがシニアの選手になる際に彼から学んだことは本当に多いんだ。

 

●─その後、君はポルトガルリーグでプレーしてるね。

アルナ 北京五輪から2年後の10年からポルトガルでプレーするようになった。その前の09年のアフリカカップで、トリオラも出場していたけど、ぼくは優勝できた。自分でも驚いたよ。その後、ナショナルチームのコーチがポルトガルでプレーするチャンスを与えてくれた。加えて、ロシアで開催されたワールドカップに出場するチャンスも得ることができたんだ。自分のベストを出すことができたし、その後にコモンウェルスゲーム(英連邦大会)に出場することができた。ポルトガルリーグでプレーするようになったのはその後だね。

 

●─ポルトガルで5シーズンやった後にフランスでもプレーした。

アルナ フランスでは2シーズンプレーして、その後にまたポルトガルに戻って、2シーズン目だから、ポルトガルでは今年で7シーズン目になるね。家族もポルトガルのリスボンに暮らしている。妻と3人の子どもがいる。ぼくはポルトガルがとても気に入っているし、自分のホームだと思っている。

フランスリーグで2シーズンプレーしたけど、この時もポルトガルに住んでいた。フランスリーグは世界でも有数のレベルの高いリーグで、常に相手とは五分五分でタフな試合が多かったし、ぼくにとっては大きな挑戦だった。でも、その2年間でぼくはメンタル、フィジカル、すべてが向上したと思っている。ぼくの勝率も7割を超えていて、レベルの高いリーグでのこの勝率は悪いものではなかった。

今シーズン(2017年〜)からはポルトガルの『スポルティング』というクラブでプレーしていて、ヨーロッパチャンピオンズリーグでもプレーしている。

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