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インタビュー

【前編】11シーズン目の欧州プロ生活、異色の越境プレーヤー・吉田光希

●突然頭に浮かんだ「ヨーロッパ」。26歳、無給でのスタート

 そんなタイミングで吉田が次のステージに選んだのはヨーロッパだった。ヨーロッパにはジュニア時代に海外遠征で訪れた時から好印象を抱いていた。それまで一度も考えもしなかった「ヨーロッパでプレーする」という選択肢が突然頭に浮かんだのだった。

 吉田は青森山田の先輩で、ベルギーリーグでのプレー経験のあった三田村宗明(現・リトルキングス)に連絡。そこから、日本選手がヨーロッパの国内リーグでプレーする際に窓口となっていた、ヨーロッパ・タマスの今村大成を通じてクラブを紹介してもらい、クロアチアリーグでプレーするチャンスを得た。

 26歳にして初めてヨーロッパのリーグに挑戦することになった吉田だが、国際大会で目立った実績はない。つまり、国際的にはまったく無名、実力未知数の日本人選手だった。そのため、1シーズン目は無給でプレーすることとなったが、所属するクラブのスポンサーに部屋を貸してもらったり、食事は契約しているホテルで済ませることができたので、そこまでの苦労はなかったという。貯金を切り崩しながらの生活ではあったが、卓球だけに集中して過ごすには十分な環境だった。

 

●2シーズン目にはECLで元欧州女王を下す

 2シーズン目はクロアチアの首都・ザグレブのクラブへと移籍したが、このクラブでは2003年世界選手権3位のタマラ・ボロス(クロアチア)と同僚になる。ボロスとともにプレーしたこのシーズン、吉田が所属したマードスト・ザグレブはクロアチアリーグ1部で優勝。ヨーロッパチャンピオンズリーグ(ECL)にも初めて出場し、オーストリアのシュトッケラウとの対戦では、元ヨーロッパ女王のリュウ・ジャ(オーストリア)から金星をあげた。

 3シーズン目は、さらに良い練習環境を求めてDr.チャッスルへ移籍し、このクラブでもECLへ出場。この頃にはヨーロッパ各国の代表クラスの選手から「アジアの選手の対策がしたい」と練習に誘われることも増えた。「無名の日本人選手」として海を渡った吉田は、徐々にヨーロッパでその存在を認められていった。

クロアチアで3つ目の所属クラブとなったDr.チャッスル時代(写真提供:マーティン・ティノ・チャッスル)

 クロアチアでの3シーズン目を終えると、翌シーズンはよりレベルの高いドイツ・ブンデスリーガへ移籍。ドイツでの1シーズン目は2部でプレーしたが、次のシーズンはベーブリンゲンと契約し、1部でプレーすることができた。そこからポーランドとポルトガルで1シーズンずつ、チェコで2シーズンを過ごし、昨シーズンから古巣であるベーブリンゲンに復帰。再びドイツ・ブンデスリーガ1部でプレーしている。

 

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