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インタビュー

【前編】11シーズン目の欧州プロ生活、異色の越境プレーヤー・吉田光希

●5カ国、8つのクラブでプレー。クラブとは自ら交渉

 11シーズンにわたって5カ国のリーグでプレーし、これまで8つのクラブに所属してきたが、クラブとの契約交渉は自らで行ってきた。契約と聞くと何かと煩雑そうなイメージだが、そこまで大変なことはないと話す。

 「(契約などは)全部自分でやってます。通訳やエージェントがいるわけでもないので、自分で交渉するしかない。自分でプレーしたいクラブを探してオファーして、お互いに条件を出し合って交渉していく感じですね。別に私は世界チャンピオンでもメダリストでもないので、条件にはそんなにこだわらない。最低限の環境があって、試合ができればそれでOKなので、わりとすんなり所属クラブが決まっています。条件よりも自分に合ったクラブでやることのほうが大事だと思っています」 

 様々な国のリーグでプレーし、試合などで各国へと訪れる中で国ごとの文化の違いも感じられるようになった。「(ヨーロッパは)だいたいどこの国も好き」と語る吉田には、やっぱりヨーロッパが合っていたのかもしれない。

 「クロアチアの時はこっちに来たばっかりで、何もできなかったけど楽しかった。ずっと暮らしているのもあるけど、一番好きなのはドイツ。ドイツは日本的で時間もオンタイムだし、言ったことはきっちりやる人が多い。チェコもドイツに近い印象です。

 ポルトガルは時間がゆっくり流れている感じで、練習時間になってもまだ誰も来ていないなんてよくあること。プレーしていたのが島のクラブだったので、特にゆるかったのかもしれないけど。観光に行くならポルトガルですね。街並みもキレイだし、ご飯もおいしい。マデイラ島なんて最高でした。チェコとかオランダの街もポルトガルとは違った魅力がありますね

 

 

●ヨーロッパで驚いたことは「そんなにない」

日本とは文化の異なるヨーロッパでプレーする中で驚いたことはなかったのかと訊ねると、答えは「そんなにない」。理由は「中国が衝撃的すぎた」からだという。日本でプロとして活動していた頃、四元が中国・超級リーグに参戦した際に吉田も同行していたが、中国の熱気はすさまじさを感じた。

 「超級リーグの試合はとにかく観客の数がすごくて、会場に入る時に観客の人がたくさん集まっているので、選手が乗ったバスをパトカーが先導していたこともあった。ホテルでファンが選手の部屋に押し掛けてきたりもしました。それに比べたらヨーロッパで驚くことは少なかったですね」

 

 ただ、クロアチア時代に同僚だったボロスのボールには衝撃を受けた。

 「タミ(ボロスの愛称)のバックドライブにはビックリしました。彼女は引退する間際の時期だったけど、下がった位置からロケットみたいなボールが飛んでくる(笑)。1年間だけでしたが、世界のトップで戦った選手と一緒にやれた経験はやっぱり大きい。人間としても素晴らしい人で、よく面倒を見てもらいました」

 

吉田はボロスとの出会いを「運が良かった」と振り返るが、その後に移り住んだドイツでは、彼女の卓球観に大きな影響を与える“師匠”との出会いが待っていた。

後編へ続く)

 

◆吉田光希(よしだ・みつき)

1984年5月17日生まれ。愛媛県南宇和郡愛南町出身。小学6年時に全日本ホープスの部で準優勝。松山市立城西中2・3年時に全中ベスト8。青森山田高へ進学し、3年時のインターハイでベスト16。高校卒業後、日本国内でプロとして活動し、26歳でクロアチアリーグへ挑戦。以降、5カ国のヨーロッパ国内リーグでプレーを続け、今シーズンが11シーズン目となった。昨シーズンよりドイツ・ブンデスリーガ女子1部のベーブリンゲンに所属

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