1926年、第1回の世界卓球選手権大会(世界卓球)がロンドンで開催された。100年近い歴史を持つ世界選手権は第二次世界大戦による中断をはさんで、長い歴史を持つ世界イベントだ。
日本が初めて参加したのは1952年のボンベイ(インド)大会。当時は参加協会も少なく、毎年開催だったが、1959年ドルトムント大会を最後に2年ごとの開催(奇数年)に変更された。その後、中国が文化大革命(国内での政治権力闘争)によって1967年から2大会不参加。1971年名古屋大会では開催協会の日本が中国の参加に尽力し、そこで有名な中国とアメリカの「ピンポン外交」が生まれた。
そして20年後の1991年には当時の国際卓球連盟(ITTF)会長・荻村伊智朗が南北朝鮮の「統一コリアチーム結成」に動き、世界中を驚かせた。
1999年には、ユーゴスラビア連邦の紛争で当時ベオグラードで開催予定だった世界選手権が、急遽アイントホーフェン(オランダ)に開催地を変更して行われた。それ以後は、1994年に他界した荻村元会長の遺志をアダム・シャララ会長が受け継ぎ、世界選手権を毎年開催(2003年から個人戦と団体戦を交互開催)。さらに卓球のメジャー化に向けて、ワールドツアーの推進、世界ランキングの定着、ボールを直径38mmから40mmに変更(ラリーのスピードダウンと回転量の減少)、21点制から11点制への変更、スピードグルーの禁止、そして会長を退任する2014年にはボールをセルロイドからプラスチックに変えるなど、次々に改革を実行した。
21世紀に入り、日本で開催した世界選手権は2001年の大阪(団体・個人)、2009年の横浜(個人)、2014年の東京(団体)で、前回の開催から10年経ち、日本開催を待望する声は多い。
同じアジアで、しかも五輪などで数多くのメダルを獲得している卓球強国・韓国だが、今回の釜山大会が初の世界選手権開催というのは意外だ。なかなか協会がひとつにまとまりにくく、経済的にも開催の費用が大きく負担になるため、今まで見送られてきたと言われていた。
そこに現れたのが柳承敏(ユ・スンミン)だ。2004年のアテネ五輪で中国を破って金メダルを獲得。選手としての名声と、その後身につけた英語力を活かし、2016年にはIOC(国際オリンピック委員会)委員になった。そして、2019年に韓国卓球協会の会長選に立候補し、36歳の若さで韓国卓球協会の会長に就任した。人望も厚く、釜山大会も度重なる延期を経て、今回の開催まで持っていった。
今大会のキャッチコピーは「ONE TABLE ONE WORLD」(ひとつのテーブル、ひとつの世界)。韓国に世界の卓球選手たちが集い、ひとつになろうという思いと、朝鮮半島がいまだ南北に分断されていることへの思いも込めていたのだろうか。
釜山はソウルに次ぐ韓国第二の都市で、会場のBEXCO(ベクスコ)は日本で言えば幕張メッセのような展示会場だ。会場や大会のビジュアルはすべて、白と赤と青で統一され、美しい。白は国土、青は陰、赤は陽を意味すると言われている。昔の大きな会場に20以上の卓球台を置いて開かれていた世界選手権とは隔世の感がある。
数多くのボランティアが動員され、すべてに整えられた運営でスタートした釜山大会。この大会でいくつものドラマが生まれるのだろうか。
ツイート