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中国リポート

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 16日まで、北京大学体育館で行われたITTFフォルクスワーゲン・プロツアーグランドファイナル。中国は全4種目を完全制覇。特に男女シングルスではベスト4を独占するなど、まさに中国による、中国のための大会となった。

 男子シングルスで優勝したのは世界ランキング2位の馬琳。2001年に天津で行われたプロツアーグランドファイナル以来、6大会ぶり2度目。大会前の世界ランキングで3位の王励勤に78ポイントの差をつけていただけに、この優勝で来年1月発表の世界ランキングでも2位以上が確定。直接出場枠の獲得を決定づける優勝だ。
 2位に入ったのは世界ランキング1位の王皓。国家チームでは同じ呉敬平コーチの指導を受け、いわば兄弟子とも言える馬琳に敗れた。5月の世界選手権ザグレブ大会でも、王皓は要所で裏面ドライブを馬琳に狙い打たれ、競り負けている。今、王皓を止められる選手は、馬琳しかいないということか。

 3位は王励勤と馬龍。王励勤は準決勝でまたしても王皓に敗れた。準決勝の試合前、王励勤はラバーの厚さが規定をオーバーし、スペアラケットでの試合を余儀なくされたようだが、本人曰く「負けは負け。ラケットが本当の敗因じゃない。王皓に対しては、まだ僕が優位に立っている部分もあるけど、総合的な実力からいえば僕のほうが下だろう(出典:東方体育日報)」。今シーズンは王皓に6連敗、同士討ちとはいえ、世界チャンピオンが同じ選手にこれだけ連敗するというのは、あまり聞いたことがない。五輪アジア大陸予選に回ることになるであろう王励勤、予選突破は問題ないが、本大会でも後輩の王皓が、悲願の五輪金メダルの前に大きく立ちはだかる。

 女子シングルスは李暁霞が準決勝で張怡寧、決勝で郭躍を下し、グランドファイナル初優勝。特に準決勝で対戦した張怡寧には国際大会でもほとんど勝ったことがなかっただけに、価値ある優勝だ。ダブルスでも今シーズンのプロツアーで5勝を挙げた郭躍とのペアで優勝。プレ五輪と位置づけられるこの大会の主役となった。
 李暁霞には溢れるような打球センスは感じない。フォームが崩れることもあるし、打球点に関しても張怡寧や郭躍のような厳しさはない。しかし、175cmの長身で懐が深く、両ハンドドライブでグイグイ攻めていく。中国女子卓球の「男性化」の象徴のような選手で、同じパワーヒッターの郭炎よりも全面的な技術を備えている。
 準優勝の郭躍は1ゲームしか落とさずに決勝まで勝ち上がったが、幼なじみの李暁霞に惜敗。現世界チャンピオンもまだ中国女子のエースとは言いがたいが、北京五輪出場は問題ないだろう。一方、同じく北京五輪出場が確実視されている張怡寧は、初戦で帖雅娜(中国香港)に大苦戦。ここは何とか切り抜けたが、準決勝で得意にしている李暁霞に敗れた。まだ25歳になったばかりだが、五輪女王もややピークを過ぎてきた感がある。張怡寧にとっても、北京五輪が最後の五輪だ。

 今大会で最高の成績を収めた李暁霞だが、張怡寧・郭躍に次ぐ3番目の代表の座は王楠のものになりそうだ。ここまで来て王楠を五輪代表から外すくらいなら、国家チームもとっくに彼女を引退させているだろう。来年2月の世界選手権団体戦、そして8月の北京五輪で団体優勝を飾り、「中国が輩出した偉大な女王」の伝説はフィナーレを迎える。

Photo上:04年アテネ五輪ではワルドナーにまさかの敗戦。馬琳は北京にリベンジを期す
Photo下:威力あるバックドライブが李暁霞の大きな武器
 前回チャンピオンの馮亜蘭は出場していないが、2大会連続出場の木子、文佳などベストに近いメンバーを組んだ中国女子チーム。 第5回世界ジュニア選手権の出場メンバーは以下のとおり。

[女子チーム]
監督:斉宝香(チィ・バオシァン)
83・85年世界選手権3位
・木子(ムゥ・ズ)
1989年1月9日生まれ/遼寧省出身。右シェーク異質攻撃型
06年世界ジュニア選手権3位
・文佳(ウェン・ジア)
1990年2月28日生まれ/遼寧省出身。左シェーク両面裏ソフトドライブ型
06年世界ジュニア選手権2位
・李暁丹(リ・シャオダン)
1990年3月6日生まれ/山西省出身。右シェーク両面裏ソフトドライブ型
07年アジアジュニア選手権優勝
・楊揚(ヤン・ヤン)
1989年1月8日生まれ/遼寧省出身。
07年アジアジュニア選手権ダブルス優勝

 チームを率いる斉宝香は、かつて世界選手権の団体メンバーとして活躍した右ペンドライブ型の名選手。ツブ高ショートからの反転ドライブで長く活躍したチャイ・ポーワ(斉宝華/中国香港)のお姉さんだ。
 選手たちのうち3人までが遼寧省の出身で、特に文佳は左シェークドライブ型という、もはや遼寧省伝統のプレースタイル。李暁丹は超級リーグと甲Aリーグの入れ替え戦で元世界3位の李楠を破り、山西省チームを昇格へと導いている。
 国家チームで孔令輝のコーチを受けるエースの木子は、人民解放軍に籍を置く軍人プレーヤー。どうでもいいことだが、彼女が将来世界チャンピオンになれば、歴代の中国の世界チャンピオンで「最も字画数の少ない」チャンピオンになる。両親とも苗字が「李」だったのを、祖父が出生届を出す際に「木」子と苗字まで変えてしまったというのは、[中国リポート2007/08/08 降格の恐怖迫る最下位決定戦…]でもお伝えしたとおり。

 なお、世界ジュニア選手権が行われているのはカリフォルニア州パロアルト市。開会式で歓迎のスピーチを行ったパロアルト市長は、なんと日本生まれの岸本陽里子さん。日系2世ではなく、日本生まれの方がアメリカの市長になったのは彼女が初めてなのだとか。

Photo:世界ジュニアの中国女子代表メンバー。上から木子、文佳、李暁丹
 現在、速報を随時アップ中の第5回世界ジュニア選手権。
中国選手団のプロフィールで、入手できるものをご紹介します。

[男子チーム]
監督:李屹(リ・イー)
92年アジア選手権ダブルス3位
・許鋭鋒(シュ・ルイフォン)
1992年3月29日生まれ/四川省出身。右シェーク両面裏ソフトドライブ型
07年アジアジュニア選手権3位
・閻安(イェン・アン)
1993年1月12日生まれ/北京市出身。右シェーク両面裏ソフトドライブ型
05年北京市13歳以下チャンピオン
・宋時超(ソン・シィチャオ)
1991年12月19日生まれ/浙江省出身。右シェーク両面裏ソフトドライブ型
06年アジアジュニア選手権カデット準優勝
・張聖伍男(チャン・ションウナン)
1993年1月5日生まれ/北京市出身。

 中国男子チームのマナーの悪さが、世界ジュニアで大きな問題となっているようだ。
 筆者は会場にいないので、安易な発言はできない。ただ、その行動が著しくスポーツマンシップに欠けていることは確かなようだ。共産主義的なプロパガンダとはいえ、中国卓球には「友好第一 比賽第二(友好が第一、試合は第二)」「反対錦標主義(勝利至上主義に反対する」というスローガンがあったのではなかったか。

 準決勝、決勝のラストで勝利を決めたあと、あろうことか卓球台の上に乗って勝利をアピールした宋時超。昨年のアジアジュニア選手権・カデット男子シングルス決勝で松平健太(青森山田高)に敗れ、2位になっている。この時の記事を引用してみると-
「カデットシングルス決勝の大事な場面で、自分の返球が指とラケットに2度当たったことを自己申告して審判のジャッジを訂正。模範的なフェアプレーを見せた宋時超(卓球王国06年10月号P.88)」。…一体どういうことなのだろうか。

 男子チームの李吃監督は元中国代表選手で、現在は国家2軍男子チーム監督。現役引退後に、コーチ兼トレーナーとして来日したこともある。
 この李屹も参加して昨年11月に行われた国家チームのコーチ選考会で、蔡振華(国家体育総局副局長)は次のような質問を投げかけている。「2軍チームの選手たちはみな80年代、90年代生まれだ。(一人っ子政策によって)一人っ子として育った彼らを、あなた方はどうやって管理し、コーチしていくつもりなのか?」。今回の世界ジュニアでの行動が、まさかこの問いかけに対する回答ではあるまい。

 ひとつ確かに言えるのは、今回の中国男子チームには昨年準優勝の徐克、今シーズンの超級リーグで最優秀新人賞を受賞した許シン(日+斤)らがおらず、ベストメンバーではないということ。それだけに中国チームにとっても苦しい戦いが続いたということだ。もちろん、彼らのバッドマナーを弁護するつもりは全くない。昨年3月のアジアカップ決勝で敗れたあと、ラケットを投げて椅子を蹴った陳杞に厳罰が下ったように、今回の中国男子チームの行動にも、何らかの処罰がなされる可能性がある。
 世界ジュニア選手権は、来月19日発売の卓球王国3月号で詳しく特集します!!

Photo上:渦中の人物となった宋時超
Photo下:今回のメンバーで、唯一昨年の世界ジュニアにも出場している許鋭鋒

 卓球のビッグイベントが続く中国で、12月21~22日に湖南省・長沙で開催されるITTFトーナメント・オブ・チャンピオンズ。
 この大会に先立って、12月20日に『国球大典~PINGPANG嘉年華(卓球カーニバル)』が開催される。全国各地の選抜トーナメントを勝ち抜いた草の根選手たちがトップ選手に挑戦するコーナーが話題を集めているが、最大の目玉として「王涛 vs. ワルドナー」と「丁松 vs. カールソン」のエキシビションマッチが開催されるとのこと。
 このふたつの試合、オールドファンならば思い当たる節があるはず。[中国リポート2007/12/06 元世界3位の丁松が卓球クラブ開設]でも一部紹介したが、中国卓球史に残る伝説の一戦、95年世界選手権男子団体決勝、中国vs.スウェーデン戦が再現されるのだ。テレビでも生中継されるが、中国の卓球ファンには見逃せない一戦だろう。 ちなみに12年前の試合のスコアは…

[中国 3-2 スウェーデン]
 王涛 -16、15、-19 ワルドナー○
○馬文革 -22、18、18 パーソン
○丁松 14、11 カールソン
 馬文革 13、-12、-17 ワルドナー○
○王涛 14、13 パーソン

 中国がスウェーデンの4連覇を阻止し、8年ぶりの男子団体優勝。会場の天津体育館はチアホーンと大歓声で熱狂の渦に包まれた。
 この試合に出場した6人のうち、スウェーデンの3選手はいまだ現役。ワルドナーとカールソンは国際試合からは引退しているが、パーソンは北京五輪の直接出場枠まであと一歩。中国チームではブンデスリーガで活躍する馬文革が頑張っているし、一昨年のシーズンまで超級リーグに所属していた丁松もまだまだプレーできそう。となると問題はやはり王涛のお腹か…。どうやら王涛とワルドナーの一戦は“ビール腹対決”になりそうだ。

 本戦に出場するトップ選手の顔ぶれは以下のとおり-
男子:王皓・馬琳・王励勤(以上中国)、柳承敏・朱世赫(以上韓国)、ボル(ドイツ)、サムソノフ(ベラルーシ)、ガオ・ニン(シンガポール)
女子:張怡寧・王楠・郭躍(以上中国)、リ・ジャウェイ・王越古(以上シンガポール)、姜華君(中国香港)、福原愛(日本)、ボロス(クロアチア)

Photo上:ワルドナー、お腹を揺らして奮闘するか
Photo下:湖南テレビが主催するだけに、ショーアップの面ではさまざまな工夫が凝らされているITTFトーナメント・オブ・チャンピオンズ

 現在、中国国内で最も人気のあるスポーツ選手といえば、陸上の劉翔(アテネ五輪110mハードル金メダリスト)とバスケットボールの姚明が双璧。中国が実績を残していないスポーツでパイオニアになったことが、彼らに人気が集まる理由だろう。欧米の強豪選手と堂々と渡り合い、勝利を収める姿が中国国民を熱狂させるのだ。
 一方で卓球は国技としての敬意を払われてはいるが、中国チームの上位独占は中国国内でも卓球人気の低迷を招いている。王励勤や張怡寧は確かに知名度は高いが、スポーツ選手としての人気では劉翔や姚明には及ばない。スウェーデンというライバルに恵まれた王涛・孔令輝・劉国梁のほうが、人気の面ではずっと上だっただろう。

 しかし、北京五輪という一大イベントが迫ってくれば話は別だ。誰だって五輪では、自分の国の選手が金メダルを獲得する場面が見たい。強ければ強いほど、勝利が確実であればあるほど良い。五輪の舞台で国民が求めるのは、リスキーなチャレンジャーではなく、確実に勝利を収めるチャンピオン。卓球人気の低迷を招いていた中国の絶対的な強さが、逆に中国卓球チームにとっては追い風となり、メディアの注目を集め、多くの企業スポンサーを引きつけている。
 今年3月、四川長虹電器が中国卓球チームと大型スポンサー契約を結んだのも、北京五輪を前に例年以上の注目を集めるであろう世界選手権ザグレブ大会を睨(にら)んでのこと。5月のザグレブ大会では、中国選手たちは胸と背中に大きな「長虹」のロゴが入ったウェアで登場し、テレビでは連日のようにその活躍が伝えられた。広告活動が規制される北京五輪が始まるまでに、少しでも中国卓球チームを活用してマーケティングを行おうというわけだ。

 中国卓球協会でも、この北京五輪前の上昇ムードを利用していくつかの改革を行ってきた。そのひとつが2006年の世界選手権ブレーメン大会から行われている、「直通不莱梅(ブレーメンへ直通)」「直通薩格勒布(ザグレブへ直通)」と銘打った国家チーム内の代表選考会。男女とも時期をずらして2回ずつ行われ、代表チームのウェアを着た選手たちが真剣モードで試合を行い、ハイレベルなラリーが続出する。試合の模様はテレビで放映されるため、スポンサーの企業にとっても宣伝効果は高い。

 今から約4年前、中国卓球チームの蔡振華総監督(当時)は、インタビューの中で「最近中国の経済力も上がってきているし、10年前とはかなり違う。すべてのスポーツの基盤は経済と密接な関係があるし、経済的な基盤があればもっといろいろなことができる(卓球王国03年7月号P.27)」と述べた。そして中国卓球協会は今、着々と経済的基盤を築きつつある。
 現時点ではまだ、北京五輪前の“特需”という印象も拭(ぬぐ)えないが、北京五輪が終わり、いくつかのスポンサーとの契約が終了する2009年以降、中国卓球協会がどのような戦略を進めていくのか。ぜひ注目していきたい。

Photo上:06年ブレーメン大会の中国代表ウェア。前回、説明を忘れていましたが、右胸に入っているYC(=YuChai/玉柴)のロゴが玉柴機器。07年ザグレブ大会では、大型スポンサーの長虹にウェアから追い出されてしまった…
Photo下:05年上海大会で、優勝した王励勤に群がる中国の報道陣。五輪ではフロアに下りられる報道陣の数は限られるが、メディアから卓球へ、熱い視線が注がれるだろう

 現在、中国卓球協会は6つの企業とオフィシャルスポンサー契約を結んでいる。これは他の中国代表チームと比べても、中国サッカーチームと並んでトップの数字。国家が資金負担をしていた時代を経て、いわば民営化されつつある各スポーツ協会の中でも、順調にスポンサーを獲得している中国卓球協会は最もリッチな協会のひとつだ。
 オフィシャルスポンサー6社の内訳は以下のとおり。

1. 上海紅双喜集団有限公司(卓球・バドミントンなどのスポーツメーカー)
2. 李寧有限公司(総合スポーツメーカー)
3. 大衆汽車有限公司(ドイツ・フォルクスワーゲンの中国合弁会社)
4. 玉柴機器股彬有限公司(ディーゼルエンジン会社)
5. 中国聯合通信有限公司(チャイナ・ユニコム/通信事業者)
6. 四川長虹電器有限公司(大手家電メーカー)

 中国聯合通信は国内第2位の通信事業者、四川長虹電器(以下長虹)はカラーテレビなどでは国内トップクラスのシェアを誇る。日本で言えば、日本卓球協会がKDDI(au)や松下電器産業とスポンサー契約を結んだようなものか。その契約金の金額もうなぎ上りで、長虹との契約金は1億元(日本円で約16億円)に達したと報道されている。

 現在、世界選手権に出場する中国選手のウェアには、これら6社のロゴが所狭しと並ぶ。
 中国代表の最新ウェア(左写真上)の前面には、左胸の中国聯合通信から時計周りに大衆(フォルクスワーゲン)、長虹、李寧のロゴが入る。右袖には大衆、左袖には紅双喜の小さなロゴが入っており、背面(左写真中)には李寧と、長虹の大きなロゴ。そしてショーツにも中国聯合通信と李寧のロゴが…。国際卓球連盟(ITTF)の規定では、ウェアに入れられる広告やロゴは、ウェアの前面とサイド(袖など)で6カ所、背面に2カ所、そしてショーツやスコートに2カ所(総面積にも上限あり)。中国卓球チームはこの規定めいっぱい、ロゴを貼り付けているわけだ。ウェアのオフィシャルサプライヤーである李寧のロゴは、規定面積以内なら広告には含まれないはずだが、李寧はあくまでもスポンサーということなのか、他の広告のロゴと同等の扱いを受けている。
 もし国際卓球連盟の規定がなければ、中国代表のウェアは広告とロゴが貼りまくられて、ポップアートみたいになってしまうかもしれない。もともと左胸に入っていた五星紅旗(国旗/左写真下)さえ、広告に場所を譲って中央に移動したというのが、五輪バブルを突っ走る中国を象徴しているようで面白い。

 中国代表のウェアを飾るオフィシャルスポンサー6社のうち、玉柴機器とは05年11月、中国聯合通信とは06年1月、長虹電器とは今年3月にスポンサー契約を結んだ。国際卓球連盟のオフィシャルスポンサーであるフォルクスワーゲン(大衆汽車)と契約したのも2005年のことだ。しかも玉柴機器との契約は08年北京五輪まで、中国聯合通信とは08年12月までと、明らかに北京五輪を視野に入れた契約期間になっている。
 前回述べたように、北京五輪の大会本番では、これら6つのオフィシャルスポンサーのうち5つのスポンサーは、ウェアにロゴを入れることができない。オフィシャルサプライヤーである李寧が、小さなロゴをひとつ入れられるだけだ。それでも北京五輪を控えた05年から今年にかけて、これらの企業が中国卓球チームとスポンサー契約を結んでいったのはなぜなのか。
(その3に続く)

Photo上・中:大企業のロゴが並ぶ中国代表のウェア。「ロゴが重くてプレーの邪魔になるのでは」と心配されたほど
Photo下:05年上海大会での中国代表のウェア。左胸の国旗はロゴに追いやられ、かなり肩身が狭い感じ。この後、06年ブレーメン大会から国旗は中央に移動した

 第29回夏季オリンピックの開催地が北京に決定し、人民日報が「13億人が注目する眠れない夜」と見出しをつけた2001年7月13日からすでに6年。さらに93年9月24日、第27回夏季オリンピック招致でシドニーに僅差で敗れてから、もう14年の月日が流れている。中国国民が待ち焦がれた五輪イヤーは、もう目前だ。

 間違いなく中国にとって、建国後最大のスポーツイベントとなる北京五輪。多くの中国企業にとって、このビジネスチャンスを逃す手はない。
 しかし、「北京五輪」という言葉や五輪のエンブレムを広告に使用できるのは、IOC(国際オリンピック委員会)のグローバル・パートナー(コカコーラ、GE、サムソンなど)と、BOCOG(北京五輪組織委員会)が指定する11のオフィシャルパートナー、10のオフィシャルスポンサー、14のオフィシャルサプライヤーのみ(パートナーが最上位)。著作権や肖像権に関してはかなりアバウトな中国でも、五輪に関しては02年4月から「オリンピックロゴ保護条例」が制定され、使用権の侵害に対する摘発に本腰を入れている。

 五輪のオフィシャルパートナーやスポンサーは、基本的に1業種につき1社。スポーツメーカーは入札によってドイツのアディダスに決定している。それでもスポーツメーカー大手の李寧などは「08場上見英雄(08年、会場でヒーローに会える)」と銘打って、商魂たくましくアンブッシュ・マーケティング(スポンサー以外のタダ乗り広告)を繰り広げているが、たとえば「08年、北京へ」というフレーズだけでも、規制に抵触する可能性が高い。

 加えて、北京五輪の大会本番になると、選手たちが着用するウェアやシューズには、国旗とその選手の名前以外は(ウェアやシューズを製作した)メーカーのロゴを1カ所入れられるだけ。この規制は恐ろしく厳格で、メーカーが2つ目のロゴを入れようものなら、係員が飛んできてガムテープを貼り、ロゴを隠してしまう。1カ所だけでも、規定の20平方センチを超えるとアウトだ。「商業五輪」と批判される反面、実はマーケティングに活用しづらいのが五輪の実態でもある。

 そして2年ほど前から、中国卓球チームには企業の熱い視線が注がれている。05~06年にかけて、中国卓球協会は大手企業との大型スポンサー契約を次々と結んできた。中国の卓球人気は復活したのか。なぜ今、また卓球が注目を集めているのだろうか。
〈その2に続く〉

Photo上:04アテネ五輪、テープでロゴが隠されたウェア。規定の20平方センチを超えてしまったため
Photo下:オフィシャルサプライヤーの李寧以外、企業のロゴが一切ない中国代表のウェア(同じく04アテネ五輪)

1. フットワークが自慢のペンドライブ型・李静(中国香港)は
 ………シェークハンドに転向させられたことがある


★李静が中国男子チームに在籍していた1992年、全中国選手権で準優勝した直後、蔡振華監督(当時)の指示でシェークハンドに転向。しかし、成績が伸び悩んだため、94年に再びペンホルダーに戻った

2. 07世界選手権ザグレブ大会で決勝を争った郭躍と李暁霞は
 ………同じ省・同じ市・同じ小学校の出身


★ともに遼寧省鞍山市新華街小学校の出身。李暁霞はのちに山東省へ移籍

3. 92年世界選手権男子複金メダリストの王涛は
 ………人民解放軍で最年少の将軍に任命された


★王涛は現在、解放軍がスポンサーの八一工商銀行チームの監督。2002年に少将に任命され、北京五輪後には中将に昇格する可能性も。とりあえず、貫禄だけは十分である

4. 01年世界選手権男子団体準決勝で、劉国正が大逆転勝ちを収めたあと、
 ………「お嫁に行くなら劉国正」というフレーズが生まれた


★劉国正は準決勝の韓国戦ラストで、金擇洙に7回のマッチポイントを奪われながら大逆転勝ち。ネット上で「嫁人就嫁劉国正(お嫁に行くなら劉国正)」というフレーズが流行した

5. 卓球界の女王・王楠が世界選手権で獲得した金メダルの数は
 ………スウェーデン男子チームが今までに獲得した総数と、同じ


★王楠はこれまでに、世界選手権で団体5/シングルス3/ダブルス5/混合ダブルス1の計14の金メダルを獲得。スウェーデン男子チームも団体5/シングルス4/ダブルス5の計14。ワルドナーやパーソンのファンにはショッキングな数字か

Photo上:李静、シェーク持ちバックスマッシュ!の決定的瞬間(06年ブレーメン大会)。ピント不良で失礼!
Photo中:あまり恋の噂を聞かない劉国正。時期を逃したか?
Photo下:王楠、14個全部首にかけたら相当重そうだ
 去る12月3日、北京五輪・卓球競技の会場となる北京大学体育館が無事竣工(完成)した。
 中国の最高学府と呼ばれ、「北大(ペイダァ)」の愛称がある北京大学の敷地内に建設されたこの体育館は地上4階・地下2階で、固定席・可動席あわせて7557席。ピンポン球を模したような、天井部分の半球状のドームが特徴的だ。「世界初の卓球専用体育館」と銘打つだけあって、グレーを基調とした内壁の塗装や、8000以上の通風口によって館内の風速を毎秒0.2m以下にコントロールする空調、抑えられた照明、二層式で衝撃を吸収するフロアなど、卓球には最高の環境が整えられている。
 しかし、この世界初の卓球専用体育館も、来年8月の北京五輪、9月の北京パラリンピックの卓球会場になったあとは、多目的用に改築されて北京大学総合体育館に生まれ変わるという。北京五輪・卓球競技のためだけに作られた、1年にも満たない時限付きの特設ステージ。国技に対する中国の意気込みが感じられるが、五輪バブルの象徴と言えなくもない。

 同体育館は2005年9月17日の着工。今年7月2日に火災が発生し、体育館の南側4分の1ほど、約1,000平方メートルを焼失。竣工が大幅にずれ込み、13日からこけら落としの大会として行われるITTFプロツアー・グランドファイナルへの影響が懸念されていたが、ギリギリで開催に間に合わせた形となった。

Photo上:北京大学体育館の画像も近日アップ予定。写真は04年にも北京市で開催されたグランドファイナル、王励勤が勝利した男子決勝でのひとコマ。
Photo中:王励勤がロビングを上げながら審判の後ろを通り抜け…
Photo下:コートが入れ替わっちゃいました。手前の王励勤のコートに打ち込む馬琳

 95年世界選手権団体優勝メンバーで、「中国の秘密兵器」として世界を震撼させた丁松(ディン・ソン)が、上海市の西南にある閔行区に卓球クラブを開設した。
 卓球場には国際規格の卓球台18台を常設。地元の卓球ファンに練習場所を提供する一方で、今後は全国から有望な小中学生の選手を募り、強化を図るとのこと。時には丁松自身も指導を行うそうだ。

 丁松は1971年9月5日、上海市生まれ。右シェークフォア裏ソフト・バック表ソフトのカット+攻撃型。バック表ソフトのナックルカットと、変化の激しいツッツキからパワードライブで攻勢に出るプレースタイルは、「守りと粘りが身上」だったカットマンの概念を大きく変えた。後輩の侯英超や、韓国の朱世赫のプレースタイルも、丁松の存在なくしては語れない。フォアのアップダウンサービスからの3球目攻撃も、カットマンとは思えないほどの破壊力があった。
 94年のスウェーデンオープンでは、プリモラッツ、金擇洙、ロスコフといったカット打ちの名手を連破し、センセーショナルな優勝。続く95年世界選手権天津大会では、男子団体決勝のスウェーデン戦3番でカールソンに完勝し、中国男子チームの優勝に大きく貢献した。丁松の2点起用を予想したアレーン監督(後に全日本男子監督)に対し、それを読み切って3番に丁松を起用した蔡振華監督の用兵術は、中国の復活優勝を彩るエピソードのひとつになっている。

 国際大会への出場が増えてから、次第に相手に研究されるようになり、95年天津大会シングルス3位をピークに国際舞台から姿を消していった丁松。不真面目な練習態度とたび重なる規則違反で国家チームを追われ、ドイツ・ブンデスリーガで4シーズンプレーした。その後、日本のスーパーサーキットや、中国超級リーグの北京銅牛でもプレーしている。
 ちょっと風変わりなカット界の元革命児。今後どんな選手を育てていくのか要注目だ。

Photo上:ちょうど10年前、97年ジャパンオープンで来日した際の丁松。1日1箱では済まないヘビースモーカーだとか…
Photo下:バック表ソフトのカットは巧みにナックルを織り交ぜた