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 長年、沖縄の卓球界に尽力をされた平安常進さんが、出張先の大阪でくも膜下出血で倒れ、昨日3月9日に逝去された。享年73歳だった。
 平安さんは、沖縄が戦後、アメリカの管轄下に置かれ、本土に返還される前から卓球に親しみ、1972年に本土に返還される前から、中学と高校の教員をしながら卓球の普及と強化に努めた。

 1991年から10年間、沖縄県卓球協会の理事長を務め、副会長を経て2007年から県の会長を務めていた。また現職として、日本卓球協会の副会長も勤めていた。
 昨年、琉球アスティーダの取材をした際も、「私自身は卓球のセンスがなかったのでたいした選手にはなれなかった。大学の2年くらいまで卓球を続けていたが、そこから遊びを覚え、卓球をやめてしまった。大学を出て、教職につき、沖縄市の美東中に赴任した。自分は強い選手になれなかったので、その悔いもあって指導者として情熱を子どもたちに注ぎたかった」と語っている。

 平安さんは琉球アスティーダの母体である一般社団法人「沖縄総合スポーツクラブ」の監事を務め、沖縄県卓球協会、琉球アスティーダの精神的支柱とも言える存在だった。
「バスケットボールのBリーグに参加している琉球キングスが成功している。これをモデルとして、総合スポーツクラブとして、キングスのような組織を目指して選手を抱えられるようなチームを作りたいですね。そしてTリーグに参加したい」と語っていた平安さんの夢の実現に向けて沖縄の人は遺志を受け継いでいくのだろう。ご冥福をお祈りいたします。

  • 逝去された平安常進さん(昨年の日本リーグ後期の時に撮影)