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 2月10日に逝去した元世界チャンピオンの荘則棟。彼の10年前のインタビューは、当時卓球関係者の話題をさらった。それまで中国卓球界でタブーのような話題にも踏み込み、赤裸々に荘則棟が語ってくれたからだ。
 3月21日発売の卓球王国ではそのインタビューをアーカイブとして掲載し、追悼の言葉を、ライバルであり、友人であった木村興治さん(国際卓球連盟副会長)が贈っている。
 荘則棟は世界選手権で3連覇した偉大なチャンピオンとして世界卓球史に名を残しているが、71年の「ピンポン外交」でもその主役を務めた人物だ。その時の話は今後インタビューの中にも登場するが、それがきっかけで米中の国交が締結し、それに触発され、72年には日中国交回復が実現した。つまりスポーツ外交によって、政治が動いた最たる例がピンポン外交で、その中心にいたのが荘則棟だった。
 同じように、スポーツ外交を通して政治が動いた例は、「もうひとつのピンポン外交」。それは91年の世界選手権千葉大会の南北朝鮮統一チーム「コリア」だ。休戦状態の北朝鮮と韓国を卓球というスポーツでひとつにまとめた画期的なスポーツ外交だった。その中心にいたのは当時、国際卓球連盟会長の荻村伊智朗だ。
 この時のコリアの様子は多少デフォルメされながらも4月に公開される映画「ハナ」が面白く、また感動的に表現している。
 写真は、若き日の荻村伊智朗と荘則棟のツーショット。奇しくもこの二人がスポーツ外交で世界の歴史を動かした卓球人である。