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 世界選手権の男子ダブルスで2枚の金メダルを獲得し、ヨーロッパを代表するプレーヤーとして活躍したドラグティン・シュルベクが、7月15日に71歳で逝去した。

 クロアチア・ザグレブ出身のシュルベクは、中陣から何本でも打ち続けるフォアドライブと、後陣での驚異的な粘りで観客を魅了した右シェークドライブ型。ユーゴスラビア代表として国際大会で活躍し、1968年にフランス・リヨンで行われたヨーロッパ選手権でチャンピオンとなり、世界選手権では79年平壌大会でステパンチッチ、83年東京大会でカリニッチとペアを組み、男子ダブルスで優勝した。

 世界選手権では4種目すべてでメダリストになったシュルベクは、「金2・銀2・銅9」の計13枚のメダルを獲得。男子ダブルスで2回目の世界王者となった83年には、ユーゴスラビアのベスト・アスリートにも選出されたが、92〜95年には独立したばかりのクロアチア代表として国際大会に出場。息子のドラグティン・シュルベクJrもクロアチア代表としてプレーした。

 1970年代から80年代にかけて、世界選手権の団体戦で日本男子とユーゴスラビアは何度も激闘を展開している。伊藤・河野・長谷川の日本男子チームが1−4の大ピンチを脱し、5−4で勝利を収めた71年名古屋大会の激闘は、今も語り継がれる名勝負。同じく5−4の大激戦となった73年サラエボ大会の予選リーグでは、シュルベクが河野・長谷川・田阪の日本から3点を奪った。シュルベクは75年カルカッタ大会でも日本男子から3点を挙げ、ついに日本に5−3で勝利し、決勝でも中国を大いに苦しめた。
  • 83年東京大会でプレーするシュルベク