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  福原愛選手と言うより、「愛ちゃん」と呼びたい。
 3歳から卓球を始め、「天才卓球少女」の枕詞で、国民的スポーツアイドルだった愛ちゃんが選手生活にひと区切りをつけた。

 マスコミでは「現役引退」と書かれているが、本人は「引退」という言葉をブログでは使っていない。これからも「卓球人」としての活動を続けていくので、あえて「選手としてのひとつのピリオド」という形にしたのかもしれない。

 1980年代から卓球はテレビタレントの発したネガティブイメージの影響で、どん底に陥った。ネクラの誹(そし)りを受け、中学校の部活で、卓球部に入部する子どもたちも激減していった。当然、卓球市場は冷え込み、卓球用品も売れない。
 何より、卓球愛好者が見えない圧力を感じ、コンプレックスを抱えることになった。「あなたは何かスポーツをやっていますか?」と聞かれた時に、「卓球!」と声を大きくして答えられない、「中学・高校で何か部活をやっていましたか?」と聞かれ、「卓球です」と言うと、相手が何とも言えない笑いを返してくる。今の卓球ブームでは考えられないことが30年以上前にあったのだ。

 そこに登場したのが「愛ちゃん」だった。そのネクラなイメージを吹き飛ばすような愛くるしい笑顔と「泣き虫愛ちゃん」と言われた泣き顔でお茶の間の人の心をわしづかみにした。彼女は1988年生まれ。3歳から卓球を始め、ほどなくマスコミが取り上げるようになったから、1992年頃から、テレビに登場し始めた。
 
 ここまではよくある話だ。「天才○○少女」という選手はその後も数多く出ている。しかし、天才はいつしか消えていくことのほうが圧倒的に多い。もしくは「天才」から「普通の選手」になるものだ。

 愛ちゃんは順調に強くなっていった。3歳からマスコミに注目され、その後、年代別の全国タイトルを総なめにして、2001年の全日本選手権ではジュニアで史上最年少(13歳)で優勝し、一般でベスト8に入る活躍を見せた。
 2003年世界選手権個人戦に初出場でベスト8、2004年の世界選手権では初の団体メダルを獲得、同年のアテネ五輪には15歳で出場し、見事ベスト16まで進んだ。
 2012年ロンドン五輪では日本卓球の悲願であったメダルを女子団体で獲得。リオ五輪でも連続でメダルを手にした。
 全日本選手権ではジュニア時代から挑戦し続けていた一般の部での優勝を、23歳(2012年1月)の時に達成した。五輪で2個(団体)のメダル、世界選手権で団体で5個のメダル、混合ダブルスで1個のメダル。全日本選手権(一般・ジュニアの部)ではシングルスが2回、ダブルスやジュニアを含めると11回の優勝を飾っている。

 早熟にして、これほど長く国内外で活躍した選手は珍しい。しかも、アイドル選手が世界的に成功した希有な選手であったことは間違いない。
 ジュニア時代からトップクラスを維持し続け、途中でバーンアウト(燃え尽き)をしなかったのは、愛ちゃんが「卓球が大好きだった」からだろう。決して恵まれた身体条件を持っていたわけではないし、筋力が特別あったわけでもない。
 小さい頃からの地道な練習量と、それを支えた「卓球が好き」という純粋なモチベーションが愛ちゃんを支えていたエネルギーだったのではないか。

 ネガティブイメージでどん底にあえいでいた日本卓球界にとって、愛ちゃんの可愛いイメージはひと筋の光だった。そして2000年以降、彼女はイメージだけでなく、そのラケットで日本の卓球界に輝かしい栄光をもたらした。
 その貢献度は計り知れないほど大きく、その後、石川佳純、平野美宇、伊藤美誠などの、今や世界で活躍する選手たちは少女時代に、愛ちゃんに憧れた世代なのだ。

 今、もし本当に卓球ブームが来ているとするならば、それは愛ちゃんの存在無しでは考えられない。今後も福原愛はスポーツ界や卓球界で「愛ちゃん」であり続けて、その活動は輝きを失うことはないだろう。(今野)


別冊『福原愛 LOVE ALL』
https://world-tt.com/ps_book/extra.php?lst=2&sbct=0&dis=1&mcd=BZ047
  • 2005年に弊社から出版した別冊「福原愛LOVE ALL」。まるごと一冊、愛ちゃん情報でまとめた

  • 2012年ロンドン五輪・女子団体戦で銀メダルを獲得して笑顔の愛ちゃん。チームメイトの石川・平野とVサイン