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卓球王国ストーリ-

トップニュース卓球王国ストーリ-
 1999年の8月、ユーゴ内戦の影響で世界選手権の会場が変更になり、アイントホーヘン(オランダ)で変則的に個人戦だけの世界卓球が開催された。
 今から見ても、日本の低迷の時期だ。

 卓球王国は当時は予算がないので、この大会の取材は今野ひとり。日本を発つ前にスタッフに伝言した。「内容は言えないけど、白黒ページ2ページ空けておいてくれ」。それはアレーン監督の辞任を伝えるページ。彼との約束を守り、王国スタッフにもアレーン辞任は伝えなかった。

  8月21日発売の卓球王国(1999年10月号)では2ページで緊急インタビューを掲載し、その中でアレーンは約束事を守らなかった協会や強化本部を痛烈に批判した。(200号裏話18に前出)
「強化対策本部の一部のメンバーがぼくをサポートしてくれなかった。あまりに多くの約束事が破られ、自分の背後で何の話し合いもないままに決定が行われた」「ぼくは日本を愛していた。ぼくの2年間は無駄ではなかった」

 男子のソーレン・アレーン監督は、日本男子がすべて敗れた8月7日の10時半にホテルの一室に選手を集め、初めて「辞任」を伝えた。ショックでその場で泣き出す選手もいた。2年間という時間をかけて、アレーンと選手が築いた信頼関係の終焉だった。

 世界選手権の詳報を掲載した9月21日発売の卓球王国(1999年11月号)では、当時の専務理事は「よくやってくれたと感謝している。世界選手権の直前で選手にショックが走るので選手には言わないでくれと頼んだ」と語り、批判の的になった強化本部長は「辞任のことを聞いたのも大会期間中だった。私自身びっくりした。はっきり言って、彼が辞めた理由に私たちのこともあると思いますが、彼はそれを口にしなかった」とコメントしている。

 田崎俊雄選手は「彼の辞任は自分にマイナス。彼のモチベーションが落ちるようになったのは、そうさせた人が悪い。世界選手権で勝って彼に恩返ししたかった」とコメント。
「悲しいです。言われた時には涙が止まらなかった。彼に会って世界という目標を持てたのに……」(三田村宗明)
「彼のやり方は役に立った。感謝したい。アーレンに任すべきだった」(偉関晴光)
「5月に辞めると言った時に協会はオープンにすべきだった。彼に対し礼を尽くし、別れのための準備もしたかった。監督が替わるたびに強化が変わる。長期的な強化が協会にない。アレーンが2年間で日本に残したことは多い」(松下浩二)(以上99年11月号より)

 アレーンが選手に伝えた夜、彼とITS三鷹の織部幸治氏と3人で食事をした。店を出たら、ばったり協会関係者と顔を合わせた。「聞いた? ソーレンは何も言ってくれなかった。水くさいよな」と耳打ちされた。「あなたたちが彼に協力しなかったんでしょ!」と叫びたかったが、言葉を飲み込んだ。
 これが、1999年の電撃的なソーレン・アレーン氏の監督辞任の真相である。

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  • 1999年11月号でのアレーン監督辞任に関する記事