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卓球王国ストーリ-

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 あれは藤井基男さんが亡くなる6年前だった。
 藤井さんから今野への電話。いや、わざわざ会社まで来ていただいたのかもしれない。「面白い人がいるんだけど。伊藤条太さんという人なんだ。一度原稿を読んでもらいたいんだけど」
 こんな会話だったかもしれない。というか、この頃の記憶があまり鮮明ではない。大体は後日、伊藤条太さんから聞いて、今野の記憶に上書きされている気がするからだ。

 初めて伊藤さんと会ったのは1997年。千葉のジャパンオープンの会場。いきなり声をかけられたような……。伊藤さんは以前、今野がやっていたTSPトピックスに「タマキチくん」というギャグマンガを送ってくる常連だった。その程度の記憶だった。確か、会場で「もし私が若かったら、卓球王国で働きたいと申し込んでいた」というニュアンスのことを言ってきた。伊藤さんは宮城県の仙台で、世界的な企業で働く会社員。当時から、抑揚のないしゃべり方で、理屈っぽい、理系の臭いを発する人だった。
 今よりも、頭もふさふさで、「卓球王国で……」と言った時にメガネの奥で眼光がキラッとしたような(のちに確認したらコンタクトレンズだったので、これは記憶違い(笑))、しないような。その後、お互いの連絡も途絶え、一度全日本選手権の会場で立ち話をした程度。
 なのに、ある日、藤井さんからの推薦の言葉。後で聞けば、藤井さんは他の卓球メーカー専門誌も紹介したそうだが、本人(伊藤さん)のたっての頼みで、卓球王国になったとのこと。伊藤さん、見る眼はある!

 それからの「伊藤条太」の活躍はみなさんのご存じの通り。「文字好きの卓球愛好者」から絶大な支持を受け、「THE FINAL」では卓球記録映画監督まで務めるほどだ。
 いつも仕事帰りに、伊藤さんと電話をするのが今野の習慣になっており。楽しい。
 そんな楽しい卓球マニアを紹介していただいた藤井さんは卓球王国という会社にとっても恩人なのである。
*記憶違いは「たぶん」本人がブログで修正すると思います。あしからず。
  • 仙台駅の前で藤井さんと伊藤さん(若い!)