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世界選手権ザグレブ大会(個人戦)

 140の協会が集まり、遂に2007世界卓球選手権大会が開幕。21日の夜7時に開会式が行われた。
旧ユーゴ連邦のスロベニア、モンテネグロ、セルビアという旧連邦が呼ばれると会場ではブーイング。内戦の傷跡は未だに人々の中に残されているのだろうか。
 第一次世界大戦の敗北からオーストリア・ハンガリーが崩壊。オーストリア・ハンガリーから離脱したクロアチアは、南スラブ民族による連邦国家の構成と言うセルビア国王の提案を受けて、セルビア・クロアチア・スロヴェニア王国の成立に参加。1929年には国名をユーゴスラビアに改名した。ところが、連邦政府をセルビア人がコントロールしていると言うことで、クロアチア人は反発。独立をめざして紛争が起きる。ユーゴ連邦の父と言われたチトー大統領が1980年に死去し、ミロシュビッチが大統領になると不満が高まった。89年のベルリンの壁の崩壊、いわゆる東欧革命を受けて、91年にはスロベニアとともに独立を宣言。その後、ユーゴスラビア軍との衝突があり、紛争状態に。95年に紛争が集結するまで、多くの犠牲者が出た。人口は450万人、首都はザグレブ。
 卓球においては、ユーゴスラビアは世界的にも強豪チームで、世界タイトルも獲得している。83年の東京での世界選手権では男子ダブルスでシュルベク、カリニッチ組が優勝したが、シュルベクはクロアチア、カリニッチはセルビアだった。また名ダブルスと言われたプリモラッツ、ルプレスクもプリモラッツはクロアチア、ルプレスクはセルビアだった。91年の千葉大会ではユーゴスラビアは決勝に進出したが、旧ユーゴとしてはこれが最後の世界選手権となった。ちなみに日本男子のコーチのアメズィッチもクロアチア出身。社会主義体制の中で、卓球は旧ユーゴの中で強くなっていったが、その裏には民族的な複雑要素を多く含んでいたのだ。
 91年の独立後、卓球においては初の世界イベント。今回のザグレブ大会にはいろんな意味があると言えよう。