スマホ版に
戻る

速報・現地リポート

トップニュース速報・現地リポート

世界選手権広州大会(条太の広州ぶるるん日記)

またまた談合

2008/02/28

昨夜も11時から豪華軽食(おにぎりとカップヌードルとビール)で談合。さすがに睡眠不足と時差ぼけでフラフラなので「今日は早めにあがりましょう」と始まった会談だったが、なにしろ話が面白い。しかも高島さん、3日3晩一睡もせずに練習したり、現役引退後は1週間徹夜してもなんともなかったという底抜けの体力なので全然話のレベルが落ちず、話にならない。

昨夜は特に珠玉の話が聞けた。

それは、1975年のUSオープンで、アメリカのフィンガー・スピンサービスの名手、ソル・シフのサービスを受けた時の話だ。

オープニング・セレモニーかなにかで、会場の真ん中にコートを一台だけ出され、観客が取り囲んだ中でそれは行われた。荻村伊智朗に指名されて高島さんがそれを受ける羽目になった。ソル・シフのサーブ一球め、高島の手元でボールがグッと伸びてきた。高島、うわっと思ってかぶせると、ボールが台の上にのらず、台の下に落ちたという。観客は大笑い。次のボール、バック側に鋭く切れ込んで曲がってくる横回転、サイドミスしちゃいかんということでラケットを斜めにして当てると、逆の横でボールは真横に吹っ飛ぶ。どう見ても下回転なので突っつくと真上に上がる。こういった調子で、20球以上も連続でミスしたと言う(空振りは一球もなかった)。球種は10種類以上もあり、もうぶつけサーブどころの威力ではなったという。20球以上受けて、同じサーブが来るようになるとだんだん返せるようになり、最後は続けて返せるようになったという。ソル・シフが駆け寄り、「お前は凄い」と誉められたそうだ。どっちが凄いんだよ、おい。後で荻村伊智朗に怒られると思っているとやはり荻村にも「よくやった。たいしたものだ」と誉められたそうだ。ちなみに高島さんは当時、両面裏ソフト。

高島さんいわく、自分はカットマンだったから後半なんとかレシーブできたけど、攻撃マンでフリックしようなんて絶対無理という。

2年ほど前に、スウェーデンのある卓球スクールで、趣味でフィンガースピンサービスを操る若いコーチがいて、そこでまた皆の前で受けさせられるハメになったが、高島さんはソル・シフのときの球種を記憶していて、すべて返すことができたという。そのコーチも見ていた生徒達も驚きの声を上げ、それから皆の態度がすっかり変わったという。そこの若手達はそのコーチのフィガー・スピン・サービスをまったくレシーブできないのだそうだ(しかもそれを本気で練習に取り入れさせられているという)。

伝え聞いていた話と180度違う話だが、こちらの真実の方が卓球の深さを物語っていて数倍面白く、戦慄を覚えた。卓球の可能性は底知れないのだ。