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世界選手権広州大会(条太の広州ぶるるん日記)

激戦の歴史

2008/03/02

昨日の男子の日本-韓国戦を見て、どぎもを抜かれた一般人が沢山いたようだが、本当に嬉しいことだ。なにも卓球は最近すごくなったわけではない。ずっと前からこういう試合をしていたのだ。ところがそれを一般大衆が目にする機会は何十年も訪れはしなかった。愛ちゃんがマスコミに登場してもなお、男子の卓球はメディアから黙殺され続けていたのだ。

昨日の放送も凄かっただろうが、実はそれでも卓球の魅力は表現できていない。カメラ位置が理想的ではないことなど、改善点はいくらもある。まだまだ卓球のテレビ放送のポテンシャルは活かされていない。

激戦の歴史
たとえば86年アジア競技大会の韓国対北朝鮮の男子団体決勝。2-2のラストでキム・ソンヒがユー・ナム・キューをセットオールジュースで下し、キム・ソンヒがそのままぶっ倒れて全身痙攣しながら「将軍様、将軍様」と叫び、テレビを見ていた二人が心臓麻痺で死亡するという壮絶な試合。

たとえば91年幕張大会の女子決勝、中国対統一コリア戦。2-2のラストでコリアのユー・スンボクが中国の高軍を下し、中国の9連覇を阻んで優勝。韓国と北朝鮮双方のファンがコートに押し寄せ会場は大混乱の異常な状態に。表彰式で上がった国旗は、韓国でも北朝鮮でもなく、朝鮮半島の形を青く染めた旗、流れたのは国歌ではなく、朝鮮半島に古くから伝わる民謡『アリラン』だった。

たとえば2001年大阪大会。男子団体準決勝の中国対韓国。2-2でラストの試合は韓国のキム・タクス対中国の劉国正。1ゲームめをキム・タクスが取り、2ゲームめも20-17でマッチポイントを握り(当時は21本制)、中国の4連覇を阻むまで1ポイントに迫った。信じられない光景。卓球の歴史が変わると誰もが思った。ところが劉国正はここから逆転してジュースで取り、3ゲームめも先にマッチポイントを取られてから逆転。ジュースになってからも何度もマッチポイントを握られたが、合計7度のマッチポイントを凌ぎ、たった1度のマッチポイントをものにして中国の勝利を決めた。呆然自失のキム・タクス。大喜びして劉国正を抱きしめる蔡振華監督。正に死闘。これがこれまでの世界選手権史上、最高の試合といわれている。

卓球はこういう激戦の歴史を持つ、地上最速の球技なのだ。