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世界選手権横浜大会(世界卓球 ブルーライト横浜速報 伊藤条太の机上の空論 web express)

24日、藤井基男さんがご逝去された。76歳だった。しかたがないこととはいえ、残念でならない。横浜大会を見たかっただろうに。

藤井さんは、1956年の世界選手権東京大会で混合ダブルスで世界3位になっている。荻村伊智朗によれば、バーグマンら当時の世界最高レベルのカットマンと同等の実力をもっていて、日本代表が欧州勢を破るため、階段を上れなくなるほど練習相手をしてくれたそうだ。

選手引退後は、タマスに入社して卓球レポートの編集長をし、その後、サウジアラビアのナショナルチームのコーチ、日本代表の強化、世界選手権の実行委員、日本卓球協会の専務理事を務め、卓球王国から単行本を何冊も発行した。つまり、日本卓球界の主要な部分をすべて経験してきた人なのだ。今月発売のニッタクニュース5月号でも『この人のこの言葉』第67回が載っているし、さらに世界選手権の特集を52ページも執筆している。亡くなる直前まで全身卓球家だった。

約10年前、ニッタクニュース編集部をとおして藤井さん宛てに古い卓球の本を送ったところとても喜ばれ、わざわざ仙台まで返しに来てくれた。下はそのときの写真と葉書だ。藤井さんはインターネットはやらないので、お会いするときの待ち合わせも、何日か前に葉書で「○月○日の11時に改札口で」という具合だった。葉書もいつも万年筆なので、雨が降ると字が滲んで届いたのも良い思い出だ。

荻村伊智朗がなくなったとき、テレビの特集で荻村のお父さんが「素男」という名前で、藤井さんと同じ読みであることを発見して手紙に書いた。すると「自分も荻村さんのお墓に行ったときに知って、因縁を感じた」と返事がきた。しかも、もともとは字も同じ「素男」で、小学校時代に何かの理由で今の名前に変えられたのだという。

その後、胃癌を患われたが手術で克服されたはずだった。しかし2、3年前に癌は再発し、昨年、成田空港でお会いしたとき、出された冷やしうどんをほとんど汁しか召し上がらなかった。

藤井さんが後押ししてくれなかったら卓球王国で記事を書くこともなかった。藤井さんは私の最大の恩人だ。本当に残念だ。

卓球にささげた人生、本当にお疲れ様でした。そしてありがとうございました。心からご冥福をお祈りします。