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2018世界卓球ハルムスタッド大会速報

 日本とスウェーデンには実は深いつながりがある。
 それを日本の若い選手や指導者は知らない。そこには「OGI」の存在がある。
 日本の荻村伊智朗は1954年と1956年の世界チャンピオン。現役時代を含め、数十回もスウェーデンを訪れている。
 なぜ荻村がそれほどまでにスウェーデンを愛していたのか。その理由を昨日、ITS三鷹代表の織部氏(以下敬称略)とスウェーデンのジャーナリストのクリスチャン・ヘイエドール(通称ピレさん)に聞いてみた。
 織部は小さい頃から東京の青卓会(のちにITS三鷹)で荻村の指導を受け、スウェーデンのファルケンベリでもプレーした経験を持つスウェーデン通だ。ヘイエドールはスウェーデン代表として61年と63年の世界選手権に出場し、その後、ジャーナリストになった人だ。自分の子どもに「イチロー」と名付けるほどの「オギファン」だった。

 荻村が選手兼コーチとしてスウェーデンに来たのは1959年。それ以前には選手としてストックホルム大会に参加している。59年には、スウェーデンを北から南まで回りながら、エキジビションマッチやコーチを行った。ただ、スウェーデンの選抜選手を集めて合宿を行った時に「事件」は起きた。
 荻村はシリアスあった。大真面目にコーチをしようとした。当然だろう。コーチングでも妥協しない男だった。十名を超える選手が集まってきたが、練習が始まってすぐに練習場を去る選手がいた。「おれたちは卓球をやりに来たのに、なんだこれは」と怒って練習場から出て行った。
 1950年代のスウェーデンでは卓球はスポーツと言うより「楽しいゲーム」だった。練習とは言え、彼らはすぐにゲームを行い楽しむのが常。ところが、日本から来た愛嬌のないチャンピオンは、練習前に体操をやり、トレーニングまでやるではないか。それは当時の日本では当たり前だったのだが、「おれたちは体操選手じゃないんだよ」とみんなが怒ってしまった。
 
 2回目の合宿に荻村が練習場に向かうとそこにいたのはたった一人の少年しか来ていなかった。ハンス・アルセア、のちにヨーロッパチャンピオンとなり、1967年の世界選手権ではダブルスで世界チャンピオンとなった人だ。その合宿ではアルセアと荻村がマンツーマンの練習を行った。
 しかし、不器用で鈍くさいアルセアが成績を出すのを見たほかの選手たちも荻村の合宿に参加をし始め、ほどなくスウェーデンは「ヨーロッパの中の日本チーム」を揶揄されるまで強くなっていく。 (今野)
  • 1954年世界選手権で優勝した荻村伊智朗