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2018世界卓球ハルムスタッド大会速報

 1980年代から2000年までスウェーデン時代は続いた。人口880万人の小さな国が10数億人から選ばれた中国のエリート選手たちを次々と破っていった。世界選手権での団体優勝、ワルドナーやパーソンは世界選手権やオリンピックで優勝した。
 ワルドナーやパーソンはまさに天才で、同時期に二人の天才が生まれたのはスウェーデンに、天才をはぐくむ土壌があったからだ。個人のアイデアを重視し、年齢による上下関係もなく、選手の創造性を大切にする民族性があった。

 実は荻村伊智朗がスウェーデンを愛したのは、その民族性が理由だろうと織部やヘイエドールは証言する。スウェーデン人のオープンマインドな性格、卓球の伝統もないから余分なプライドも持たない。一方、スウェーデン人には質実で誠実なメンタリティーもある。それを荻村は感じていた。彼自身も、日本の中で異質なメンタリティーを持っていた。大学の体育会的な上下関係の強い気風を嫌がっていたからだ。
 ステラン・ベンクソンという世界チャンピオンを輩出し、1973年には世界選手権の団体優勝を果たしたスウェーデン。アルセア、ベンクソン、ヨハンソンというスターが世界への道を切り開いた後に、ワルドナーやパーソン、アペルグレン、カールソンなどの才能あふれる選手たちが栄光の時代を築いた。

 ワルドナーやパーソンの栄光の時代、日本は低迷していた。古くさいと言われたフォアハンド主戦の卓球から抜け出せずに、シェークハンド攻撃の卓球にも順応できなかった。しかし、当時からスウェーデンの選手や関係者は口々にこう言っていた。「今スウェーデンが強いのは日本のおかげ、オギムラのおかげなんだ。オギムラがスウェーデンの基礎を作ってくれた」。選手やコーチたちは日本を訪れ、惜しげもなく講習会を開き、彼らの最新の卓球を披瀝した。「我々が日本に来て、日本の卓球の人たちに伝えることは恩返しだから」と。

 その後、スウェーデンは低迷する。偉大な天才が去り、才能ある若い選手が枯渇していた。逆に日本は水谷や張本に代表される天才たちを得た。歴史は場所を変えながら繰り返されていくものだ。
 創造的で、実戦的な「スウェーデン練習」はその後、ヨーロッパ各地でも採用され、特別な練習ではなくなっていた。
 スウェーデンは1990年代以降、強い選手が海外でプレーするようになる。プロ選手として高い報酬のところでプレーするのは当然だろう。しかし、反面、国内リーグのレベル低下を招き、スウェーデン卓球を長く支えてきたクラブシステムがぐらつき始めた。以前は、クラブに行って、トップ選手たちを見ながら子どもたちも育っていった。それがワルドナーであり、パーソンだった。ところが、トップ選手が海外に流出し、子どもたちは憧れるべきトップ選手を失ったのだ。
 実は、この問題はスウェーデンだけでなく、ヨーロッパの国々のあちらこちらで発生していた。自国のトップ選手が自国から離れ、ジュニア選手が思うように育たない。 ヨーロッパの卓球が低迷するその背景には、こういう理由がある。

 男子のおいて、日本は現在中国に次ぎ、ドイツと肩を並べる世界No.2の国となったが、もし1990年代のようにヨーロッパが強かったら、安閑としていられない状況だっただろう。
 ヨーロッパにはスウェーデンを筆頭に、フランス、ユーゴ、イングランド、ポーランド、ベルギーなどがひしめき合っていた。そういった国と今の日本が対戦したら、それも白熱するだろう・・・そんな妄想を考えている。 (今野)
  • 1987年に国際卓球連盟会長となった荻村伊智朗