世界ランキング2位の許シンがゴーズィ(フランス)、世界ランキング1位の樊振東がチームメイトの梁靖崑に敗戦。世界ランキング1・2位のふたりが敗れる、予想外の展開となった中国男子チーム。準々決勝では馬龍と林高遠が当たってしまう組み合わせで、最大でも準決勝には2名、決勝には1名しか進出できない。同士討ちが続くドローの不運はあるとはいえ、少々頭が痛いところだ。
許シンの敗戦については、やはりボールの変更の影響が大きいようだ。敗れたゴーズィ戦の終盤、ゴーズィに逆チキータなどの変化のあるレシーブで翻弄されたが、セルロイドボール時代なら、迷わずフォアで打ち抜いていたボールも多かったのではないか。プラボールになり、さらにABS樹脂製の硬めのものが主流になり、スピードと回転量が低下。3球目攻撃も安易に強打するとカウンターを食らう。「ペンホルダーはいつも、ルールや用具の変更に苦しめられてきたんだよ」という、17年ジャパンオープンでインタビューした際の彼の言葉を思い出す。
そして、気がかりなのは樊振東だ。12年世界ジュニアで華々しくデビューした時は、まさに「神の子」という感じ。天性のボールタッチで、上から叩きつけるような連続バックドライブを操り、瞬く間に世界のトップクラスへ駆け上がっていった。丸っこい体型をゴムまりのように弾ませ、フォア前のチキータからバックに戻り、目にもとまらぬライジングのバックドライブでストレートを抜く。世界のトップに立つのは時間の問題かと思われた。
ところが、今の樊振東はどうだろう。体重は絞られてスリムな体型になり、フォアハンドも強化されてきた。その一方で、バックハンドの速攻はかつての鋭さを失い、どこか特徴のないプレースタイルになってしまっている。
彼は今、成長曲線の「踊り場」にいるのだろう。もともと張継科のような、ギラギラとした勝負師タイプではない。馬龍のように成長に時間を要する「大器晩成」型。馬龍も09年横浜大会で3位に入り、常に優勝候補に挙げられながら、王皓の壁を越えられない時期が続いた。13年パリ大会で張継科が2連覇を達成し、馬龍が相変わらず王皓に敗れた時には、「馬龍はもう世界を獲れないのではないか?」とさえ感じたが、今では絶対王者の地位に君臨している。
樊振東には、もう少し時間が必要なのだろう。そう考えてみれば、日本の張本智和もまた頂点への道のりは山あり、谷ありだ。