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卓球ワールドカップ団体戦

 卓球チームワールドカップ女子決勝、日本は中国に挑んだが、0-3のストレートで敗れた。敗れたとはいえ、いずれも来年の東京五輪の前哨戦にふさわしい極めてレベルの高い試合だった。
 中でももっとも激しい戦いとなったのが、2番の伊藤美誠と孫穎莎の19歳同士のエース対決だった。
 孫穎莎の作戦は徹底していた。速いサービスを伊藤のバック側深くに集中することで、伊藤の得意とするチキータを封じ、バックハンド強打のミスを誘ったのだ。
 チキータとは主に短いサービスに対してバックハンドで激しい回転をかける打法だが、伊藤はそれを「表ソフト」(歴史的にこのタイプのラバーが最初に登場したため「表」と呼ばれる)という回転をかけ難いラバーで行う。回転をかけ難いラバーで回転をかけるのだから効果が少ないかと言えば、そうではない。
 表ソフトは回転をかけ難い(=摩擦係数が小さい)が故に、ラケット面を比較的相手の方に向けた状態で打球する。そのため相手はラケットを正面から見ることになり、ラケット面の傾きがわかり難く、それがボールの回転方向の判断の狂いにつながるのだ。伊藤のチキータを相手がゆるく返したりミスをしたりするのは、軌道が曲がるからでもなければ速いからでもない。回転の方向がわかり難いからだ。これは他の選手たちの回転をかけやすい「裏ソフト」によるチキータとはまったく別の威力だ。つまり伊藤は「表ソフトにもかかわらずチキータをしている」のではなく「表ソフトだからこそ可能なチキータをしている」のだ。
 伊藤のチキータは、その独特のフォームからテレビなどでしばしば”美誠チキータ”などと呼ばれ、中国選手との対戦でも要所で効果を発揮してきた。しかし今回の孫との試合では、全5ゲーム中ただの1球も打ってはいない。
 孫がそれをさせないようにバック側の深いところにサービスを集めたからだ。通常、こういう配球はしない。深いボールは強打される。それを避けるためにネット際にサービスを集めるのが定石であり、それを狙うのがチキータである。孫は伊藤にチキータをされるよりも、レシーブからバックハンド強打される方を選び、そこに勝機を見出したのだ。
 伊藤のバックハンド強打は、表ソフトならではの回転をかけずに叩く「フラット強打」が中心だ。速いボールが打てる反面、軌道が直線的なので物理的に入る確率が低いハイリスク・ハイリターン打法だ。世界のトップレベルでこのような打法を中心とする選手は極めて希だが、リーチの短い伊藤が世界で戦うためには採用せざるを得ない。本来ハイリスクである打法を練習によってローリスクにするしかない。
 伊藤のフラット強打は、速いことの他に、無回転であることの希少価値も威力のひとつだが、孫はまったく意に介さない対応を見せた。無回転ボールであることに対するとまどいのようなものがまったく見られなかった。徹底的な対策練習の跡が伺われる。こうなると伊藤は希少価値ではなく速さそのもので得点を狙うしかない。しかし速いボールほど軌道は直線的になり、ミスの確率が大きくなる。といって緩めれば得点のチャンスが減るばかりか強烈な孫の逆襲を食らう。威力と成功率のギリギリのバランスが勝敗を決める。
 第1ゲームと第2ゲームはぎりぎりの差で伊藤の得点が上回り、第3、第4ゲームは孫の得点が上回った。最終ゲームは10-12というまさに紙一重、ほんのわずかの差で孫の勝利となった。10-7で孫のネットインがなければどうなっていたかわからない、ほんの数ミリの差の試合だった。
 チキータを封じたのは、実は孫だけではない。他ならぬ伊藤自身もチキータを封印していたように見えるのだ。というのは、孫はチキータが可能なボールを何度か伊藤に送っているのだが、伊藤はそれらをことごとくチキータせず、強引なまでに強打をし続けたのだ。そこには「回転方向のわかり難さ」という、慣れられれば対応されてしまう威力よりも、「速さ」という絶対的な威力を手に入れようという強い意思が感じられる。裏ソフトを貼っているはずのフォアハンドでさえも回転をかけないフラット強打の割合が以前にも増して大きかったように思える。
 できる限りすべてのボールをフラット強打で打ち抜く卓球。ネットすれすれを通過してエンドライン一杯に入る、打球方向誤差±0度の強打を連発する卓球。そのような、卓球の歴史上、誰も到達したことのない卓球に向かって伊藤は進んでいるように見える。言うまでもなくそれは極めて困難な道だ。できたとしても安定して再現することはさらに難しい。仮に伊藤がそのスタイルで世界の頂点に立ったとしても、追従しようとする者さえいないだろう。そういう孤独な世界に今、伊藤はいる。恐るべき19歳である。

(伊藤条太)