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 本日発売になった卓球王国2020年7月号。その巻頭特集は「黄金の言葉」。早い話が1997年の創刊1号から2020年6月号までの277号に掲載された選手や指導者の言葉を集めた、卓球人の名言集である。

 4月中旬からバックナンバーを読みあさり、ひたすら「これは!」と感じた言葉をキーボードで打ち込んでいく。もちろん、果てしない作業である。雑念を入れずに読もうとしても、あの選手の若かりし頃の勇姿や読者だった頃に見た懐かしい記事、企画に目を奪われて、なかなか順調には進まない。途中「別冊 卓球グッズ2020」の編集作業も行いながら、最後の277号にたどり着いたのが5月上旬。「ステイ・ホーム」が叫ばれる中、時には会社から「ゴー・ホーム」すらせずに最後の1冊を読み終え、誰もいない明け方の編集部でひとり、ガッツポーズをしてしまった。

 前編の今回は、当時の写真とともに五輪&世界選手権王者をはじめとした海外の卓球人の「黄金の言葉」を掲載。6月22日発売予定の2020年8月号では後編として日本の卓球人の言葉を掲載する。

 編集後記にも書かせてもらったが、本誌に掲載できたのはピックアップしたうちのほんの、ほんの一部。泣く泣く掲載できなかった言葉のほうがはるかに多い。
 そこで、お蔵入りにはもったいない、「黄金の言葉・番外編」をここでいくつか。


【ワルドナー(スウェーデン)】
「もしオリンピックでメダルを取れるチャンスがないのなら、ぼくはアテネに行く意味も、プレーする意味もないよ」(2004年2月号)
…アテネ五輪でベスト4に進んだワルドナーが大会前に発していた言葉。発言どおり見事なカムバックを果たし、世界を驚嘆させたキングはやっぱりカッコいい。

【パーソン(スウェーデン)】
「なんだか、あの小さなボールが幸せな気分にさせてくれるんだよ」(2009年8月号)
…こちらもスウェーデンの誇るレジェンドの、シンプルかつ卓球の魅力が凝縮された言葉。卓球を始めた頃から40歳を過ぎたインタビュー当時まで、練習場に行くのが楽しみでしかたがないと語っていた。

【ガシアン(フランス)】
「ブロンズなんだけど、ぼくにとっては金メダルよりも尊いものなんだ」(2001年2月号)
…シドニー五輪前に愛する父を亡くしたガシアン。悲しみに暮れる中、盟友・シーラとの男子ダブルスで獲得した銅メダルをこう表現した。

【劉国梁(中国)】
「自分を否定すること、自分に満足しないこと、改善していくこと。この3つが重要です」(2015年10月号)
…中国男子監督時のこのインタビューは濃度MAX。馬龍や張継科ですら、まだまだ不足した面しか見えないと語っていた。

【リー・チュンリー(ニュージーランド)】
「日本の人からは『頑張る』というスピリットを教わった」(2012年7月号)
…中国からニュージーランドに帰化、50歳にしてロンドン五輪出場を目指していたリー・チュンリー。日本でも池田銀行、健勝苑でプレーした。

【エクホルム(スウェーデン)】
「もちろんオリンピックにはすごく出たい。でも、出ることがもっとも重要なことじゃない」(2013年11月号)
…出場権を獲得しながら、国からの承認が降りずに2度の五輪出場を逃すも、リオ五輪で夢の舞台に立った。もちろん五輪には出たい、でも一番大切なのは大好きな卓球を続けることだと語った。

【李静(香港)】
「選手はベストのプレーをしたよ。サービスの判定? それも含めて人生というものだろう」(2014年7月号)
…香港女子監督として臨んだ2014年世界選手権団体戦。微妙なサービスの判定もあった日本との準決勝に敗れた後のコメント。

【徐寅生(中国)】
「私たちは『前進なきは後退』という言葉を失敗から学んだ。全盛期の時こそ、卓球の発展の動向を予測していかなければならない」(2010年3月号)
…選手として世界選手権優勝、引退後は中国卓球協会会長、さらに国際卓球連盟会長も務めた中国のカリスマの言葉。中国選手、指導者の言葉を読み返すと思想や理論が脈々と世代を超えて受け継がれているのがわかる。


 ここに載せるものだけでも、相当チョイスに悩まされました。また何かの機会に、こうして過去の名言を紹介していければと思います。ということで、本誌の「黄金の言葉」お楽しみいただければ幸いです。(担当・浅野)


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