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中国リポート

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 中国を代表する酒として、しばしば「国酒」と呼ばれる高級酒がある。中国の西南部、貴州省仁懐市にある茅台鎮で作られている「茅台酒(マオタイチウ)」。高梁(コウリャン)を原料として作られる蒸留酒で、白い陶器の瓶にクラシックな赤いラベルが印象的だ。
 そしてこのほど、茅台酒を製造する貴州茅台酒股フェン有限公司と中国卓球チームが提携し、茅台酒が正式に中国卓球チームの「祝賀酒」に指定されることになった。「国球」と「国酒」の強力タッグの誕生だ。

 この茅台酒、芳香とシンナー臭のギリギリの境界線、というくらい強い香りがある。グラスに注いだだけで、部屋中に茅台酒の香りが充満すること間違いなし。若い女子選手にはあまりウケないかもしれないが、あくまで乾杯用の酒なのだろう。
 しかし、北京オリンピックを控え、祝い酒の準備にも抜かりがないとは何とも心憎い。選手たちの熾烈な選考レースとは対照的なこの余裕。日本もちょっと見習うべきではないか、という気がする。

COLUMN-茅台酒と卓球の浅からぬ関係

 国酒と呼ばれる茅台酒は、国賓との祝宴などには必ずと言っていいほど供されている。1972年、ピンポン外交の結実として中国を訪れたニクソン米大統領を、毛沢東国家主席がこの茅台酒でもてなしたのは有名な話。同年9月に田中角栄首相が訪中し、日中国交正常化が実現した時にも、周恩来総理はこの茅台酒で田中首相と乾杯した。中国現代史の影に常にこの酒あり、という酒なのだ。

 昨年4月、日中卓球交流50周年を記念して、木村興治さん、伊藤繁雄さん、栗本(旧姓:松崎)キミ代さんなど、かつての名選手たちで構成された訪問団が北京を訪問。この時に栗本さんは一本の古い茅台酒のビンを持参していた。これは1961年の第26回世界卓球選手権北京大会の時、日本選手団の歓送会の宴席で、周恩来総理が栗本さんに贈ったものだった。栗本さんのプレー、試合態度を高く評価し、「松崎の風格に学べ」という言葉を残した周総理が「お父様へのお土産に」栗本さんに2本贈ったうちの1本だ。
 この時にもうひとり、茅台酒を2本贈られた日本選手がいる。ちょっと面白い逸話があるので、その人物の自叙伝から引用してみよう。

 周恩来総理が「乾杯!」と言います。キャプテンなので私が受けて、その強くてくさい酒を三回続けて周恩来総理の「乾杯!」にお付き合いしました。そうしたら、日本に留学した頃、談論風発、大いに中国の将来を語りながら一升ビンをあけたという酒豪の周恩来さんが、「あなたはよく飲みますね、記念にあなたに茅台酒を二本差し上げます」という話になりました。その晩、本当に秘書官が二本届けてくれました。
 私は大事にしなければいけないなと思ってスーツケースの中に大切にしまいこみました。そして北京を翌朝発って上海にゆき、その晩の試合を前にしてスーツケースからラケットとユニフォームを取り出そうと思ったら、なんとそのうちのひとビンの栓がよくしまっていませんでした。スーツケースじゅう茅台酒の洪水になっていました。ユニフォームにも茅台酒がしみ込み、ラケットを振れば茅台酒のにおいがプーンと鼻をおそいます。茅台酒のにおいに包まれて試合をしましたが、酔ったような気分で余裕もあり、思い切りもよく、試合はなかなか面白くできました。
(卓球王国ブックス『笑いを忘れた日』P.164より引用)

 茅台酒のにおいをまき散らしながらコートに立ったのは、ミスター卓球こと荻村伊智朗さん(故人)。栗本さんに贈られたもう1本はお父さんが実際に召し上がったそうだが、荻村さんのスーツケースの中で難を逃れた一本は、今ごろどうなっているのだろうか…。

Photo上:「乾杯(カンペイ)!」する蔡振華と王励勤。04年トヨタカップの歓迎会でのひとコマ
Photo中:グイッと一杯。王励勤は酒量はあまり多くないとか
Photo下:61年北京大会での周恩来総理と松崎キミ代さん

 現在、湖北省の省都・武漢では「中華人民共和国第6届城市運動会(第6回都市運動会)」が開催されている。
 この城市運動会は4年に1回開催される総合体育大会。21歳以下の選手による都市対抗戦で、若手選手の育成を目的としている。各種目ごとに年齢制限があり、卓球は1987年1月1日以降に生まれた選手が出場する。前回の第5回大会では全25種目に6648人の選手が参加したというから、かなり規模の大きい大会だ。オリンピックになぞらえて、わざわざ聖火リレーまでやるのが面白い。

 卓球競技は23日に男女団体決勝が行われた。試合形式は北京五輪と同じで、1・2番のシングルスが終了した後、ダブルスと4・5番のオーダーを交換する。
 男子団体決勝は、03年世界ジュニアチャンピオンの李虎が率いる地元・武漢市(湖北省)と、出場選手の中ではずば抜けた実力を持つ馬龍の成都市(四川省)が激突。武漢市はオーダーをうまく外して、李虎を馬龍に当てなかったことが幸いし、地元で嬉しい優勝を飾った。
 一方、女子団体決勝は世界チャンピオン郭躍がいる瀋陽市(遼寧省)と、超級リーグで大活躍した劉詩ブンの広州市(広東省)の対戦。国家チームでふたりの担当コーチである孔令輝が戦況を見つめる中、天才少女対決の実現に注目が集まったが、残念ながら実現せず。試合は郭躍がシングルスで2点取ったものの、ラストで劉詩ブンが瀋陽市の楊揚をゲームオールで下して優勝を決めた。

 今日からは個人戦がスタート。男子シングルスでは馬龍、周斌、張継科が優勝候補。女子シングルスは郭躍、李暁霞、劉詩ブン、丁寧、姚彦、曹臻と超ハイレベル。誰が栄冠を手にするのか。

Photo上:04年世界ジュニアで団体優勝した中国男子チーム。当時のメンバーが今回の城市運動会の主役になっている。右から周斌・馬龍・李虎・林晨(クリックで拡大)
Photo下:急激な成長を見せる劉詩ブン。2月の世界団体戦メンバーに抜擢される可能性もある

 04年世界選手権団体優勝メンバー牛剣鋒(ニウ・ジェンフォン)が、国家チームを引退したことが明らかになった。
 牛剣鋒は1981年4月3日生まれ、河北省保定市出身。6歳で卓球を始め、93年に河北省チーム、96年に国家チームに入った。右シェーク攻撃型で、前陣での切れ味のある両ハンド速攻を武器に、2003年にアジア選手権で優勝し、同年12月にはITTFプロツアー・グランドファイナル決勝で張怡寧を破って優勝。一気に世界の頂点へ駆け上がるかと思われたが、04年8月のアテネ五輪では4回戦でキム・ヒャンミ(北朝鮮)にストレート負け。05年アジア選手権・団体準決勝では韓国戦で2失点し、団体優勝を逃したことで一時的に国家チームからも外された。郭躍、李暁霞ら若手の台頭もあり、2006年以降は国際大会にほとんど出場していなかった。

 07中国超級リーグでは、河北金能のエースとしてシーズンを戦った牛剣鋒。国家チーム引退後も、09年の第11回全中国運動会が終わるまでは、超級リーグと国内大会でプレーを続ける。同じ河北省の出身で、女子1軍チームのトレーナーを務めていた劉志強(男子2軍チーム)と来年結婚する予定だそうだ。

Photo上:03年ITTFプロツアー・グランドファイナル優勝時の牛剣鋒
Photo下:04年アテネ五輪では郭躍とのダブルスで銅メダルを獲得した

 10月18日、上海市の北にある宝山区楊行鎮に「曹燕華Pingpang培訓学校(曹燕華卓球育成・訓練学校)」の新校舎が完成。国際卓球連盟の木村興治副会長、中国卓球協会の徐寅生会長、アジア卓球連合の李富栄会長といった重鎮をはじめ、元世界チャンピオンの郭躍華、江加良、張徳英など、そうそうたるメンバーが出席し、盛大な落成記念式典が行われた。

 新校舎には述べ7000平方メートルの総合トレーニングセンターや、定員180名の学生寮を完備。公立小学校の楊泰小学校とセットになっており、建設費も楊行鎮政府が全面的に出資している。中国国内に50校あまりしかない「全国重点卓球単位」のひとつだ。新校舎の落成に際して、同じく「全国重点卓球単位」に選ばれている全国の卓球学校から30を超えるチームが集まって練習試合も行われた。
 今後は日本を含め、世界中から未来のチャンピオンたちがここを訪れ、腕を磨くことになりそうだ。

 曹燕華は1962年12月1日、上海市生まれ。右ペンホルダー裏ソフトドライブ型で、軽快なステップワークを駆使した連続ドライブ攻撃を武器に、1983・85年と世界選手権女子シングルス2連覇。80年代前半の女子卓球界で圧倒的な存在感を示した。
 85年に国家チームを引退したあと、国家チームのチームメイトだった施之皓と結婚(2000年に離婚)。ブンデスリーガ・グレンツァオのコーチに就任した施之皓とともにドイツに渡り、96年に帰国。98年に上海曹燕華卓球学校を創設し、3つの卓球学校と2つのクラブを運営するまでになっている。05年全中国運動会・男子ダブルスで王励勤とペアを組んで優勝した劉杉や、今シーズンの超級リーグ男子で最優秀新人賞を獲得した許シン(日+斤)も曹燕華卓球学校の出身だ。

Photo上:05年世界選手権上海大会・開会式での曹燕華。左隣は同じ上海市出身で、79・81年世界複2連覇の張徳英
Photo下:曹燕華卓球学校出身の劉杉。05年全中国運動会では19歳で男子ダブルス優勝
 10月18日、上海の浦東新区にある陸家嘴人民法廷で、ある裁判の審理が行われた。

 被告は上海の大手不動産管理会社である、上海証大物業管理有限公司および上海証大三角洲置業有限公司(長い!)。原告は一組の怒れるカップル。夫は元世界チャンピオン・江加良、妻は有名な映画女優だった呉玉芳だ。
 マスコミやテレビカメラが詰めかける中で行われたこの裁判。3時間以上かかったが、調停の糸口を見出すどころか、ますます泥沼化の気配なのだ。

 昨年8月、上海の新興開発区・浦東新区の一角にある江加良夫妻の瀟洒なマンションに、泥棒が入った。被害にあったのはメダルや盾、記念品の類で、江加良が獲得した国際試合のメダル3枚や、呉玉芳が受賞した最優秀女優賞の記念品など。犯人は後に捕まったのだが、盗んだ品物は、その価値がまったく分からずに全部捨ててしまったという。
 ちょうどこの時、マンションの入り口のセキュリティシステムが故障しており、誰でも自由に出入りできる状態だったことから、江加良夫妻はマンションを管理する上記の会社(被告)に対して、損害賠償5万元と精神的苦痛に対する賠償10万元、あわせて15万元(日本円で約240万円)を求める訴訟を起こしていたのだ。

 18日の審理では、法律上賠償する責任は全くないとする被告側と、江加良夫妻の間で激しい論戦が展開。盗まれた物品は10万元の精神的苦痛に値しないという、被告側の代理人のこのひと言が、夫妻を憤慨させた。「一生のうちで3枚だけメダルを獲得した人がそれをすべて失うのと、200枚以上獲得した人がそのうちの3枚を失うのでは、精神的な苦痛の大きさは全然違うでしょう」。
 これに対する原告側の弁護士の反論は的確だった。「子どもを傷つけられたり、失ってしまうとしたら、それが一人っ子だろうと三人兄弟のうちのひとりだろうと、両親の受ける心痛は同じではないですか」。
 この裁判、どういった形で決着を見るのだろうか。

 出典:『東方体育日報』

Photo:最近はテレビの解説やリポーターとしても活躍する江加良(左)。昨年のITTFチャンピオンズトーナメントでも解説を務めた

 昨日18日、中国卓球協会は中国卓球チームのシンボルマーク(隊章)・チームフラッグ(隊旗)・チームソング(隊歌)を募集することを中国全土に向けて発表した。

 『中国卓球チームのチームソングは以前からあるが、正式に認められたものではなく、チームフラッグもあったがデザインは今ひとつだ』(中国卓球チーム主務・黄ビャオ氏)。05年上海大会以降、世界選手権の前に中国チームのコーチや選手たちによる「Pingpingpangpang(ピンピンパンパン)天下無双」というラップ(?)が3回発表されているが、これはもちろん正式なチームソングというわけではなかった。

 募集期間は12月10日まで。その後、蔡振華・劉国梁や、北京五輪のメインスタジアム・国家体育場の中国側チーフデザイナーである李興剛らが選出・修正を行い、12月20日に決定する見込みだ。

 女子選手のウェアの改革など、北京五輪に向けてイメージの刷新を図る中国卓球協会。結果がどうなるかはともかく、「国球」としての意気込みが感じられる。年明けには、コーチや選手たちが歌う新しいチームソングを聴くことができそうだ。
 これまでの「Pingpingpangpang天下無双」では、男子選手はリズム感がイマイチだったが…。趣味がカラオケでロックが大好き、歌も習っているという郭炎が意外な歌唱力を発揮するかもしれない。

Photo:あまり関係ないですが…、05年世界選手権上海大会の開会式で歌う江加良(左)と王涛(右)です

 去る10月1日、92年バルセロナ五輪ダブルス金メダリスト、世界選手権の男子ダブルスでも2回優勝している呂林(ル・リン)が、中国でも人気の高級車・BMW320iを購入した。

 …地味な、あまりにも地味なニュースだ。
 ところが中国では、これが自動車関係のネットをニュースとして駆け巡ったのだから、やはり卓球選手、そして五輪金メダリストの影響力というのは大したものなのだろう。
 そこはBMWもさるもので、中国 BMW上海事務所のウォルフガン所長がわざわざ販売店のある杭州市を訪れ、各マスコミに招待状を送って、盛大な「新車キー授与式」を行ったという。五輪金メダリストもBMWを選んだということで、宣伝効果は抜群というわけだ。

 呂林は1969年4月6日生まれで、現在38歳。抜群のフットワークを生かしたキレのあるフォアドライブが武器で、左シェーク前陣攻守の王涛(ワン・タオ)との名コンビで、オリンピック・世界選手権のタイトルを獲得した。中国の卓球史上、日本式ペンホルダーを使用した唯一の世界チャンピオン。
 96年に現役を引退してからは指導者の道を進み、日本リーグの中国電力でもコーチを務めた。一時は国家男子1軍チームのチーフコーチとして、蔡振華の後継者と目されていたが、女子2軍チームへ異動になったのを機に国家チームから離れ、現在は故郷の浙江省で「小球(テニス・バドミントン・卓球)センター」の主任を務めている。

Photo:92年バルセロナ五輪表彰式での呂林。BMW(ドイツ)は中国では「宝馬」と訳され、誰もが憧れる高級ブランドとなっている
 中国共産党第17回全国代表大会(十七大)が、昨日10月15日、北京の人民大会堂で開幕した。

 この全国代表大会は5年に1度しか行われず、毎年1回全体会議が行われる全国人民代表大会(全人代)よりも格式は上。実務というよりも、向こう5年間の党の指導方針や、指導部の人事などを決定する場になっている。
 この全国代表大会には、今年6月までに全国から2237名の代表が選ばれた。世界最大の政党である中国共産党員は10月8日の最新統計で7,336万人いるので、約3万3,000人にひとりしか代表に選ばれないことになる。

 この代表大会には、スポーツ界からも27人を選出。卓球界では、北京市代表の張怡寧、遼寧省代表の王楠という女子卓球界の新旧女王が選ばれた。
 今月5日に25歳になったばかりの張怡寧は北京市代表団の最年少で、代表会議全体でも異例の若さ。「今回は勉強させてもらう気持ちで大会に参加します。他の代表の方々からも、学ばなければならないことがたくさんありますから」と初々しいコメント。一方、29歳の王楠は5年前の第16回全国代表大会でも代表に選出されている。2大会連続での選出は非常に名誉なことだ。

 王楠はシドニー五輪を控えた1999年に、王励勤らとともに共産党に入党。張怡寧もアテネ五輪直前の2004年に入党し、ともに五輪チャンピオンに輝いている。日本のスポーツ選手には理解しづらい部分だが、中国代表として、ひとつの精神的な拠りどころになるということか。昨年7月にも入党式が北京で行われ、馬琳や劉国正、郭炎らが新しく共産党員になっている。

 Photo:代表大会ではスーツでビシッとキメた王楠と張怡寧。政界進出もあるのか…?

 中国卓球のトリビア(マメ知識?)を集めてみました。
 このトリビア、あなたはご存知でしたか??

1. シドニー五輪金メダリストの孔令輝は、
  ………儒教の始祖・孔子の子孫


★現在修正中の『孔子世家譜』にもすでに収録済み。孔子の子孫は直系・傍系を含めると、世界に300万人とも、400万人とも言われている。

2. エキシビションマッチでラケットを紛失して、
  ………世界選手権のシングルス出場権を失った中国選手がいる


★2001年世界選手権大阪大会の直前のエキシビションマッチで、孫晋(00年シドニー五輪複銀メダリスト)がラケットを紛失。このことが蔡振華総監督の逆鱗に触れ、孫晋は大阪大会のシングルスの出場権を失った。本大会では孫晋の代わりに出場した林菱が準優勝した。

3. 92年バルセロナ五輪複金メダリストの王涛は、
  ………中国で一番多い氏名


★中国科学院中国姓名研究センターの王大良主任によると、中国には男女合わせて約10万人の「王涛さん」がいる。サッカー選手や写真家、書家にも有名人がいるが、その中でも卓球の王涛が最も有名である
  ↓
※10/26修正中国の最多姓名については長く議論が続いていたが、今年7月に公安部の全国公民身分番号検索サービスセンター提供のデータによって、正確な数字が打ち出された。最も多い姓名は29万607人で「張偉」。

4. 中国バドミントン協会の会長は、
  ………元卓球選手の李富栄


★61・63・65年と、世界選手権決勝で3大会連続して荘則棟と対戦した李富栄は、現中国オリンピック委員会副委員長・アジア卓球連合会長。

Photo上:こんなところをご先祖さまに見られたら…。01年全中国運動会で敗れた孔令輝のアクション
Photo中:00年ITTFプロツアー・グランドファイナルでの孫晋(当時世界ランク3位)
Photo下:中国スポーツ界の中枢を担う李富栄氏。アテネ五輪の時は選手団の副団長も務めていた

 10月11日、中国超級リーグ女子の入れ替え戦が北京・中国卓球チームトレーニングセンターで行われ、今シーズン9位の重慶康徳遠景と甲Aリーグ2位の山西省チームが対戦した。

〈山西隊 3-2 重慶康徳遠景〉
○李暁丹    3-2    李楠
 武楊     2-3    王珊○
 武楊/楊飛飛 0-3    李楠/劉純○
○李暁丹    3-1    劉純
○楊飛飛    3-2    王珊

 元世界選手権3位の李楠を擁する重慶康徳遠景が有利と思われたこの一戦だが、エースの李楠がトップでまさかの失点。この1点が最後まで重慶康徳遠景に重くのしかかった。2番、ダブルスを取り返して残留に王手をかけたものの、4番の劉純が受け身のプレーで敗れ、勝負はラストへ。ゲームオールの白熱した一戦を山西省チームの楊飛飛が制し、山西省チームが昇格を決めた。

 山西省という省名も、日本ではあまり馴染みがないかもしれない。山東省とセットにすると覚えやすいが、地理的には山東省と山西省は河北省に隔てられ、隣接してはいない。
 日本でいう県庁所在地に当たる省都は太原市。昔から卓球の非常に盛んな町で、多くの国際・国内大会が行われてきた。毎年行われている太原国際ジュニアオープンには200名を超える選手が参加し、今年はワールドジュニアサーキットの一環として開催されている。
 これまでに輩出した卓球選手は、あの荘則棟が育てた管建華(87年世界選手権3位)、97年世界選手権ベスト8の成紅霞など、カット主戦型の選手が多い。決勝で単複2点落としたが、武楊もその系譜を継ぐ選手だ。

 山西省チームは2001・2002・2003-2004と超級リーグに所属していたが、当時のメンバーはほとんどが他省の出身者という『傭兵集団』だった。2001年のシーズンには小西杏選手(現アスモ)が山西晋園チームに加入しており、これが日本人の超級リーガー第1号となっている。

Photo上:トップで痛恨の敗戦を喫した李楠。緻密な攻守に狂いが生じたか…
Photo下:貴重なカット主戦型のホープである武楊(06年世界ジュニア3位)。ちなみに卓球王国12月号で新連載『鄭さんの超レベルアップ大作戦』をスタートする鄭慧萍さんも山西省の出身なのです