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中国リポート

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 95年世界選手権団体優勝メンバーで、「中国の秘密兵器」として世界を震撼させた丁松(ディン・ソン)が、上海市の西南にある閔行区に卓球クラブを開設した。
 卓球場には国際規格の卓球台18台を常設。地元の卓球ファンに練習場所を提供する一方で、今後は全国から有望な小中学生の選手を募り、強化を図るとのこと。時には丁松自身も指導を行うそうだ。

 丁松は1971年9月5日、上海市生まれ。右シェークフォア裏ソフト・バック表ソフトのカット+攻撃型。バック表ソフトのナックルカットと、変化の激しいツッツキからパワードライブで攻勢に出るプレースタイルは、「守りと粘りが身上」だったカットマンの概念を大きく変えた。後輩の侯英超や、韓国の朱世赫のプレースタイルも、丁松の存在なくしては語れない。フォアのアップダウンサービスからの3球目攻撃も、カットマンとは思えないほどの破壊力があった。
 94年のスウェーデンオープンでは、プリモラッツ、金擇洙、ロスコフといったカット打ちの名手を連破し、センセーショナルな優勝。続く95年世界選手権天津大会では、男子団体決勝のスウェーデン戦3番でカールソンに完勝し、中国男子チームの優勝に大きく貢献した。丁松の2点起用を予想したアレーン監督(後に全日本男子監督)に対し、それを読み切って3番に丁松を起用した蔡振華監督の用兵術は、中国の復活優勝を彩るエピソードのひとつになっている。

 国際大会への出場が増えてから、次第に相手に研究されるようになり、95年天津大会シングルス3位をピークに国際舞台から姿を消していった丁松。不真面目な練習態度とたび重なる規則違反で国家チームを追われ、ドイツ・ブンデスリーガで4シーズンプレーした。その後、日本のスーパーサーキットや、中国超級リーグの北京銅牛でもプレーしている。
 ちょっと風変わりなカット界の元革命児。今後どんな選手を育てていくのか要注目だ。

Photo上:ちょうど10年前、97年ジャパンオープンで来日した際の丁松。1日1箱では済まないヘビースモーカーだとか…
Photo下:バック表ソフトのカットは巧みにナックルを織り交ぜた