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中国リポート

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◎黒龍江省出身の女子選手
[ハルピン市]韓玉珍・王輝(日本)・張瀟玉・馮天薇(シンガポール)・王シュアン(王+旋)・顧若辰
[チチハル市]王曼昱
[大慶市]丁寧・車暁曦
[伊春市]焦志敏


 黒龍江省出身の選手で、最初に世界で活躍したのは韓玉珍だ。1961年の全中国選手権で黒龍江省を初の女子団体優勝に導き、李富栄とのペアで混合ダブルス優勝。1961年世界選手権北京大会では混合ダブルス2位、女子ダブルス3位の好成績を収めた。
 この時まだ19歳。将来を嘱望(しょくぼう)された選手だったが、「周囲より良い成績を」というプレッシャーがあまりにも大きかった。62年に日本に遠征した際、「侵入者に襲われた」と狂言の自傷行為をしたり、チームメイトのラケットを水洗トイレのタンクに捨てるなどの問題行為が発覚。その後は中国代表に返り咲くことなく、79年に38歳の若さで病死している。

 黒龍江省出身の女子選手、その特徴のひとつが恵まれた体格だ。実は黒龍江省は中国全土でも「平均身長の高い省」のひとつで、各省の平均身長ランキングでは男女とも3位(2018年調べ)。女子は平均165.25cmに達する。

 その特徴が最もよく現れているプレーヤーが丁寧だろう。かつて「工業は大慶に学べ」と言われた工業都市・大慶市の出身だが、丁寧が腕を磨いたのは北京市。早くから抜群の身体能力を発揮していた丁寧は、9歳の時に「まだ幼すぎる」という理由で黒龍江省のジュニアチーム入りを断られてしまう。その後、北京市の名門・什刹海体育学校の関係者に才能を見出され、母親の高風梅さんは丁寧を連れて北京へ。北京市女子チームの周樹森監督との運命的な出会いがあり、学費も全額免除で迎えられた。

 黒龍江省チームとしては大魚を逃した形だが、地元に残っていたら、後の五輪女王も生まれていなかったかもしれない。中国の卓球選手はこのように、より良い練習環境や活躍の場を求め、早ければ8〜9歳で地元を離れ、名門の卓球学校に進むケースが多い。丁寧も出身は黒龍江省だが、所属チームはあくまでも北京市。卓球人国記をやるうえでは難しい面もあるが、出身地として明記しておきたい。

 丁寧の他にも、88年ソウル五輪3位のサウスポー・焦志敏、シンガポール女子チームの絶対的エースとして君臨し続ける馮天薇、男子顔負けの豪快なパワードライブを放つ車暁㬢など、攻撃力のある女子のシェークドライブ型が多く育っている黒龍江省。そして今、黒龍江省出身の選手で最も期待を集めているのが、176cmの長身を誇る王曼昱だ。母方の叔母の勧めで5歳で卓球を始め、13年全国青年選手権で優勝して国家2軍チーム入り。14・15年世界ジュニアでは史上初の2連覇を達成した。昨年は不調に苦しみ、ライバルの孫穎莎に先行を許した感もあるが、精神面も含めてまだまだ伸びしろはある。

 もうひとり、黒龍江省の女子選手で印象に残るのは右シェークバック表・攻守型の王シュアン。国家チームでは長く福原愛選手のコピー選手を務め、「隠れた英雄」としてチームを支えた。17年全中国運動会で、30歳という年齢を感じさせないハッスルプレーを見せ、ベンチで大粒の涙を流した姿が忘れられない。王シュアンとダブルスを組み、美女プレーヤーの呼び声高かった右ペンドライブ型・張瀟玉も懐かしい選手だ。

□黒龍江省・女子明星隊
WOMEN’S HEILONGJIANG ALL STARS
先鋒 馮天薇
次鋒 王輝
中堅 王曼昱
副将 焦志敏
大将 丁寧


・出身地重視で、丁寧はあえて黒龍江省チームの大将に入ってもらった。王曼昱・焦志敏・丁寧という中堅〜大将の平均身長はゆうに170cmを超える攻撃的なチーム。日本に帰化し、全日本女王に輝いたナックルカットの名手・王輝が華を添えている。
  • 右ペン攻撃型の韓玉珍はハルピン市の出身

  • 2014年アジア競技大会での焦志敏。安宰亨(韓国)と国際結婚した

  • 2000年世界団体優勝メンバーの王輝(右から2番目)

  • 17年世界選手権で3回目の優勝を果たした丁寧

  • 今も世界のトップを維持し続ける馮天薇

  • 巧みなバックショートを武器に、国家チームでもプレーした張瀟玉

  • 2017全中国運動会で、女子団体決勝進出に貢献した王シュアン

  • 車暁㬢の一発のパワードライブはすごい破壊力