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中国リポート

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 4月5日、広東省珠海市の華発集団容ホン学校に、「容国団記念館」が完成。落成記念のテープカットが行われた。4月5日は、中国初の世界チャンピオンである容国団が、1959年世界選手権ドルトムント大会の男子シングルスで優勝した記念すべき日であり、今年でちょうど50周年の節目の年となる。容国団記念館には容国団の試合や日常での写真、文章、世界選手権優勝のトロフィーやメダルなどが展示される。
 記念式典には、徐寅生、李富栄、曹燕華、施之皓、江加良、孔令輝、張怡寧、郭躍と中国卓球界が誇る歴代の世界チャンピオン14名が大集合。85・87年世界チャンピオンの江加良が「大先輩の容国団さんが私の目標だった。必死で努力して、大先輩を越えるという目標を成し遂げることができた」と語れば、草創期の国家チームで容国団と共に戦った徐寅生が「容国団は自分の考えを持ち、度胸と実行力を備えた素晴らしい人物だった」と当時を偲(しの)んだ。式典の最後には、張怡寧と郭躍による地元・珠海市の少年選手とのエキシビションマッチも行われた。

 容国団(ロン・グオトゥアン)は1937年8月10日、香港の貧しい家に生まれた。13歳から漁師として働き、肺結核を患ったため、香港工業連合会が開設したスポーツクラブに籍を置いて、養生しながら卓球の練習も行っていた。57年11月、時のスポーツ大臣(中国体育運動委員会主任)だった賀龍に招かれて広州に移住、広州体育学院の学生となって結核の根治につとめ、「2年以内に世界チャンピオンになる」と宣言して周囲を驚かせている。人々が疑いの眼を向ける中、ドルトムント大会決勝で老雄・シド(ハンガリー)を破り優勝。見事その公約を果たし、中国に一大卓球ブームを巻き起こした。
 広州に移住してきた時、容国団が発した「人生能有几次搏」という言葉は、中国卓球界の名言中の名言。少々訳しづらいが、「真の戦いと呼べるものが、人生に何度あるだろうか?(今こそが真の戦いの時だ)」といったところか。今でも多くの人に語り継がれているこの名言を、筆者もかつて紙に書いて、部屋に貼っていたことがあります…。

 容国団が亡くなったのは1968年6月20日。文化大革命の嵐吹き荒れる中、紅衛兵の迫害を受けての自殺だった。香港からの移住選手たちはスパイと見なされたのだ。1964年には国家女子チームのコーチとなり、65年リュブリアナ大会で中国女子を初の団体優勝に導くなど、指導者としても期待されていた矢先のことだった。1978年、中国体育運動委員会によって名誉回復が成されている。

Photo上:61年北京大会で優勝した中国男子チーム。左から荘則棟、王伝耀、容国団、李富栄、徐寅生(クリックで拡大)
Photo下:容国団のフォア強打。リストの弾きと肘の押しを使って打つ、独特の打法