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中国リポート

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 89年ワールドカップ優勝、92年バルセロナ五輪シングルス銅メダリストの馬文革(マ・ウェンガ)が、長くプレーしていたドイツから帰国し、地元・天津市チームのコーチとして活動している。97年にドイツ・ブンデスリーガに参戦し、オクセンハオゼンやグレンツァオ、フリッケンハオゼンなどの強豪チームでプレー。ブンデスリーガでは常に勝率のトップ5に入り、所属するチームを5度の優勝に導いた。

 馬文革は1968年3月27日生まれ、現在41歳。奥さんの李ファン(王+番)さんとの間に、11歳の豪澤くん、7歳の安則くんのふたりの子どもがいる。卓球を始めたのは7歳の時、17歳にして全中国選手権を制した天才プレーヤーだ。当初はシェーク・バック表ソフトの異質速攻型だったが、後にバックを裏ソフトに替え、両面裏ソフトの攻撃型へと変身した。プレーの持ち味はなんといってもフォアの連続ドライブ。身長は公表168cmと決して高くないが、抜群の運動能力を生かし、コート狭しと動き回って切れ味鋭いカミソリドライブを連発した。手首を活用して叩くバック強打も、近年の中国代表には見られなくなった技術だ。

 馬文革のプレーを見たい方に、個人的にオススメの試合を3つ選ぶとしたら、まずは92年バルセロナ五輪・男子シングルス準々決勝のパーソン(スウェーデン)戦、そしてやはり外せない95年世界選手権団体決勝2番、同じくパーソンとの大一番。極めつけは97年世界選手権男子シングルス6回戦、クレアンガ(ギリシャ)戦だ。強打者同士のノーガードの打ち合いは、馬文革(21-19、19-21、22-24、25-23、21-17)クレアンガ、という大激戦。一部では「史上最高の打撃戦」との呼び声も高い。ちなみに馬文革は続く7回戦(ベスト8決定戦)で渋谷浩(当時:日産自動車)と対戦、第1ゲーム9-19のビハインドからパワードライブを連発し、12点連取で第1ゲームを奪うという離れ業も演じている。

 中国男子がスウェーデンに覇権を奪われた90年代前半、中国男子チームのエースでありながら数々の辛酸を舐め、95年世界選手権天津大会でついに男子団体の王座を奪回。地獄と天国をともに味わった馬文革。同世代の張雷(93年世界選手権複2位)は北京市チーム総監督、于沈潼(89年世界選手権3位)は遼寧省男子チーム監督、王永剛(日本名:吉富永剛/93年世界選手権ベスト8)は黒龍江省女子チーム監督。3選手とも日本の実業団リーグでプレーした後、それぞれ指導者への道を歩んでいる。
 全中国運動会の展望について、「男子チームはハオ帥と李平がいるし、本来のプレーを発揮できれば、3番手の成績次第では男子団体のタイトルも狙える位置にいる」と馬文革は語っている。彼のもうひとつの目標は、超級リーグで各クラブに散らばっている天津市チームの選手を呼び戻し、天津市チームを復活させること。07年シーズンには浙商銀行の一員として超級リーグに参戦し、王皓(八一工商銀行)をも破った馬文革。(中国リポート 2007/08/20『頼れるアニキ・馬文革が王皓を破った! 男子12節』を参照)。天津市チームが超級リーグに復活すれば、再びプレーヤーとしてコートに立つ可能性もありそうだ。

Photo上:フリッケンハオゼンでプレーしていた05年当時の馬文革。奥はダブルスのパートナーだったルンクイスト(スウェーデン)。04-05年シーズンはプレーオフ決勝でヴュルツブルグに敗れ、準優勝に終わった
Photo下:馬文革が評して曰く「技術的には全く問題ない。よりリラックスして、闘志を全面に出して戦えば良い」。天津市の不動のエースであるハオ帥(写真提供:ITTF)