スマホ版に
戻る

中国リポート

トップニュース中国リポート
 1997年の世界選手権マンチェスター大会で団体・シングルス・ダブルスの3冠を制したのを最後に、トウ亜萍は現役を引退した。まだ24歳だったが、猛練習に次ぐ猛練習で、マンチェスター大会では腰にコルセットをはめながらのプレー。しかし、闘志あふれるその姿からは、故障の影響を微塵も感じさせなかった。

  トウ亜萍の競技人生の中で、不本意であろう敗戦が2試合だけある。
 1試合目は91年世界選手権千葉大会の女子団体決勝、中国vs.コリア戦2番の対ユ・スンボク戦。ユの重いフォアドライブとバック強打の前に1-2で敗れた。この試合、2-3でコリア(韓国と北朝鮮の合同チーム)に敗れ、大金星を献上した中国は9連覇の夢を断たれた。75年カルカッタ大会から優勝を続けていた中国女子、この試合で敗れていなければ、2006年のブレーメン大会で団体16連覇を達成していたことになるのだから、中国卓球史に残る敗戦のひとつには違いない。
 もう1試合は93年世界選手権イエテボリ大会、女子シングルス3回戦のジン・ジュンホン(シンガポール)戦。断トツの優勝候補筆頭だったが、のちにシドニー五輪でベスト4に入った帰化選手、ジン・ジュンホンの連続ドライブの前にまさかの敗戦を喫した。

 そして現在、現役を引退して10年が経ち、トウ亜萍はイギリスのケンブリッジ大学で経済学の博士号を取得しようとしている。現役引退後、中国でも屈指の名門・清華大学に入学、英語と管理学を学んだ。特に英語はまったく喋ることができなかったのが、清華大学で学んだ後、イングランドのノッティンガム大学に留学。今では北京市民の英語普及活動のイメージ大使を務めるほどになっている。超一流の努力は、どの分野においても花開くということだろう。
 プライベートでは、93・95年世界選手権男子ダブルス3位の林志剛(リン・ジィガン)と10年越しの交際を経て2004年に結婚。昨年3月にパリで3400gの元気な男の子を出産し、「林瀚銘(リン・ハンミン)」と名付けている。

 今年4月には北京五輪のオリンピック村選手村部門の副部長に就任、「金メダリストが村長に」と大きく報道された。慈善活動にも積極的に参加しており、たとえば視力回復の手術費が払えない学生に対して、2005年からすでに100名以上の手術費を寄付してきた。
 学生として、母親として、さらには北京オリンピックの顔として。ラケットを置いたとはいえ、中国が生んだ偉大な女傑・トウ亜萍は、現役時代と少しも変わらぬ輝きを放ち続けている。

※来週20日からは、いよいよ佳境を迎えた超級リーグも再びリポートします!

Photo上:91年世界選手権千葉大会で敗れた鬱憤を晴らすように、圧勝で王座に返り咲いた93年イエテボリ大会団体表彰
Photo下:2004年アテネ五輪で、卓球会場を訪れたトウ亜萍