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中国リポート

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 2月10日に亡くなった中国卓球界の巨星・荘則棟。亡くなったのは中国の旧正月である春節の2月10日だったが、その亡くなる直前、ある人から「年夜飯」が届けられたことを『新聞晩報』などのメディアが伝えている。「年夜飯」とは大晦日に食べる食事のこと。届けたその人とは、荘則棟の前妻である鮑蕙蕎(バオ・ホイチャオ)さんだ。故人に対して、少々ナイーブな話題ではあるのだが、鮑さんのインタビューなどを少し取り上げてみたい。

 鮑さんは1960年代から活躍する、中国を代表する「鋼琴家(ピアニスト)」のひとり。59年にオーストリア・ウイーンで行われた世界青年学生祭典で荘則棟と知り合い、62年に北京市主催の春節聯歓会で再会して、交際がスタートした。中国を代表するアスリートとアーチストのビッグカップル。文化大革命が近づくにつれ、卓球もピアノも続けられなくなったことがふたりの結婚を早め、1965年に結婚している。

 文化大革命では、国家チームの傳其芳(フー・チーファン)監督や姜永寧(ジァン・ヨンニン)コーチ、中国初の世界チャンピオンである容国団(ロン・グオトゥアン)らが「スパイ」として激しい批判や暴力にさらされ、自ら命を絶った。世界選手権3連覇の荘則棟でさえ、文化大革命の初期には批判対象となり、監禁状態での生活が続いて、相当追い詰められていたようだ。
 鮑さんはその時、荘則棟の第一子を身ごもっていた。

 「どうか堪え忍んでください。決してそれ以外のことは考えないで。私と、そしてまだ見ぬ子どものことを考えてください」(出典/『新聞晩報』)。

 荘則棟にそう伝えたことを、鮑さんは2002年に行われたインタビューで語っている。ほどなくして鮑さんは長男の荘ピャオ(風+火×3)さんを出産。荘ピャオさんは後にハンガリーのリスト・フェレンツ音楽大学に学び、母親と同じピアニストへの道を歩んだ。ちなみにもうひとり娘さんも生まれ、彼女はバイオリニストになった。卓球一家にはならず、音楽一家になったのだ。

 周恩来総理の配慮によって再びラケットを握ることができるようになり、71年世界選手権で3大会ぶりに世界選手権に登場した荘則棟。中国選手団のバスに間違って乗り込んできたアメリカ人選手、グレン・コーワンに荘則棟が声をかけたことから、歴史的な「ピンポン外交」の幕が開いた。そしてピンポン外交の立役者のひとりとなったことで、荘則棟の運命は大きく変わっていく。

 …長くて小難しくてすみませんが、後編に続きます。

photo:61年北京大会優勝時の荘則棟