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中国リポート

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 中国の国家チームは、いくつかのカテゴリーの選手たちで構成されている。
 女子チームで言えば、世界大会に出場する主力選手(張怡寧・郭躍)、経験豊富で精神的支柱となるベテラン(王楠)、今後が期待されるホープ(劉詩ブン)、もう引退が近い選手(李楠)などだ。
 そして国家チームの伝統として、このカテゴリーに含まれない、もうひとつの選手集団が存在する。「陪練(ペイリェン)」と呼ばれる、多くは無名の選手たちだ。そして実はこの「陪練」の存在が、中国卓球の強さを支えていると言っても過言ではない。無名の英雄と呼ばれる彼らのことを、少し紹介してみたい。

 国家チームにおける「陪練」というのは、分かりやすく言うと「トレーナー(練習相手)」のことだ。国家チームの集合訓練などでは、選手たちは選手同士で練習するよりも、トレーナーを相手に練習することが多い。
 たとえば男子チームのトップ選手にはふたりのトレーナーがついて、全面にフォアのパワードライブを打つ練習などを行う。女子チームのトップ選手の場合は、有望な女子の若手選手や、男子2軍チームの若手選手がトレーナーを務める。もちろん、トレーナーといっても、たとえば男子チームのトレーナーならば、世界のトップ30に入るくらいの実力は十分にある。

 トレーナーになるのはそのほとんどが若手選手。王楠がかつてトウ亜萍のトレーナーを務め、世界選手権ザグレブ大会準優勝の李暁霞が張怡寧のトレーナーを務めたように、陪練から重点強化選手に選ばれる選手も少なくない。しかし、女子選手のトレーナーに任命された男子選手は、その後1軍チームの主力として活躍するケースはほとんどない。そのままずっとトレーナーを務めるか、指導者の道を選ぶか、あるいは海外に活路を求めることになる。
 「陪練」としてチームのために尽くすことを、中国では「人梯(レンティ)」になる、という言い方をする。読んで字のごとく、「陪練」たちが組んだ梯子(ハシゴ)を踏み台にして、トップ選手たちが世界の頂点に立っていく。のちに「陪練」から昇格して、今度は陪練を踏みつけていく選手もいれば、ずっと踏まれつづけて選手生命を終える選手もいる。すべては「中国チームの勝利」のためなのだ。

 2000年シドニー五輪で金メダルを獲得した王楠は、記者会見を次のような言葉で結んでいる。「ここに来るまで私たちはとても厳しい訓練を積んできました。私は今、一緒に練習してくれた多くの仲間に感謝の言葉を言いたい。彼らは名前のないヒーローですから」。いかにも中国選手らしいアピールのように聞こえるが、かつての「陪練」としての彼女の本音なのかもしれない。
 国家隊の名もなき英雄たち-中編では、「陪練」の中でもさらに特殊な選手たち、「仮想選手」について紹介しよう。

Photo上:2人の「陪練」を相手に練習する劉国梁(2001年当時)
Photo中:同じく2001年、張怡寧の「陪練」を務めていたのは、現在世界ランク32位のヤン・ツー(シンガポール)だった。弱い選手には「陪練」は務まらないのだ
Photo下:2000年シドニー五輪で記者会見を行う3人のメダリスト